いつからループが始まっていたのだろう
加齢を重ねて中年と呼べる年齢になってしまったのだけど、仕事も恋愛も生活様式も大きくは変わらないまま。相変わらずの仕事をして、独身で、ファストファッションに身を包んでいる。
実際問題として、25歳ぐらいから生活スタイルがそれほど変わっていない焦りのようなものはある。結婚もしていないし、住宅ローンもないし、趣味も変わっていない。体力はなくなったと思うけど、昔だって無茶をしたら当たり前に体調が悪くなっていた。読書、映画、酒、昼寝。ひとり上手。
一定のところまでは変わるけれど、そこから先はアトラクタフィールドのような壁に阻まれて全てが「いつもどおり」にループしはじめる感覚がある。自分の加齢は進んでいくに、周りの出来事をアップデートすることができない。若者ゆえの無茶をしていたわけでもないから、変える必然性もなかったのだ。
コンフォート・ゾーンに居座る自動運転
「アトラクタフィールド」はタイムマシンを描いたSFである『STEINS;GATE』における架空の理論。世界線ごとに異なる収束が巨視的にほぼ同じになっているため、過去に干渉したところで世界線収束範囲内に収まってしまう。
アトラクタフィールド自体は宿命論を強化するためのの空想科学なのだけど、動物行動学者のロバート・M・ヤーキーズと心理学者のジョン・D・ドットソンの理論を元にした「コンフォート・ゾーン」によって説明されるとそれなりに納得できるとしった。コンフォート・ゾーンとは「快適な空間」のことで、いつもどおりの安心感を得られてストレスが少ない範囲に無意識的に調整する人間心理のことだ。
ラーニング・ゾーンへのストレスと無謬主義
コンフォート・ゾーンの外側にラーニング・ゾーンがあり、さらに外側にはパニック・ゾーンがあるという。ラーニング・ゾーンを意識的に続けるうちに自分にとってのコンフォート・ゾーンを移動させることを「成長」と呼ぶが、いきなりパニック・ゾーンに至ると混乱によるストレスでコンフォート・ゾーンに戻ろうとする強い圧力が働く。
例えば仮想通貨で労せず儲けた人が豪遊と納税で元通りになってしまうのは、ラーニング・ゾーンを経ずにパニック・ゾーンに至ってしまってからという見方ができる。僕自身が元に戻ってしまうのは、ある種の自己肯定感が高すぎるが故にラーニング・ゾーンにいること自体にストレスを感じやすいからなのだろう。
ラーニング・ゾーンにいれば様々な間違えを犯してしまうのが日常となるが、それを素直に受け入れるのが難しい。だから実戦で間違えないための十分な準備と机上の空論をこねくり回しながら、誰かのゲームプレイをベガ立ちで見つめているうちに色々なことが閉店時間になってしまった。そのことに気づいたのは30歳より前なのに現状がある。
大人になることの報酬と酸っぱい葡萄
大人になることの報酬はなんとなく分かる。コンフォート・ゾーンを移動すべきなのも分かる。だけど、結果としてコンフォート・ゾーンを移動しない言い訳ばかりが上手くなっていく。巷に流通した「人生のネタバレ」のバッドエンドルートを避けるためには、コスパ主義と運動瞑想睡眠野菜350gで個人的な快感を追求し続けるのが最善手だ。
コンフォート・ゾーンの移動は世界線の移動をするような困難を伴う。ましてや、現在のコンフォート・ゾーンが快適なのはもちろんとして客観的に考えてもそう悪くない位置だと思えてしまうのがモチベーションを低下させる。このまま40歳になっても同じことを言えるのは殆んど確定的。おそらく50歳の頃にクライシスを感じる自分を想像できるかの問題であり、「人生のネタバレ」の収集方針を変えていく必要があるのだろう。