ブロガーズハイになっていた
今週末は実家に戻っていたり、通信回線も使えるようになっていたので、作業の合間合間に文章を書いていたら昨日と今日で更新を10回していた。久しぶりにライティングハイというかブロガーズハイのような脳内麻薬が出てきていい塩梅だった。
もちろん、はてなブックマークなんてろくにつかないし、短期的なアクセス数も増えやしないのだけど、それはそれだ。いつか使うための梯子の羅列はあくまで自分のためにあるのだろう。
大量更新をするとひとつひとつへの執着がなくなる
そもそもが気晴らしで書いていた事なのに「他人からどう受けるか?」とか、ヘタしたら「機械にどう受けるか?」なんてことばかりを気にしても仕方がないのだけど、あまり更新していないとひとつひとつの記事への反応が気になってしまうこともある。
1日に5回の更新をしていると、さすがに個々の記事への執着が薄れるし、そのうちの1〜2記事に少しの反応があるだけでも承認欲求は満たされる。いわゆる「恋愛工学」において、非モテはひとりの異性に入れ上げすぎて逆にキモい行動をとるという「非モテコミット」が解説されているのだけど、ブログの更新にも同じようなことを感じる。
ひとつの記事になされる「非モテコミット」が苦手
ときどき、自分の書いた記事に対する個人的な思い入れを「みんなごと」に拡張して、「おすすめブログ」や「はてブ新着」に載ったのらないとかの愚痴や報告を延々としていたり、同じ記事の更新通知やリツイートを何度も何度もしているのを見かけたりもする。そんなことをされても不愉快な気分にしかならないし、読もうと思っていても読みたくなくなる。10回連続RTとかさ。
もちろんリターゲティング広告としての効果やタイミングの問がもあるし、僕も程度の問題なのだけど、それにしたって悲壮感すら感じさせる「私が書いたこの記事だけはモテるべき」というの非モテコミット的な行動が常軌を逸しているんじゃないかと思う事がある。仕事でやっているならともかくとして、いちいちはてなブックマークへの新着掲載をチェックしてスクショを撮ったり、なんでブクマしてくれないの?みたいな感じの発言を傍からみてると結構きつい。個人の感想だけど。
俺はお前ではないし、お前は俺ではない
そういう観点からしても、ひとつの対象物に執着することで余計に遠ざける「非モテコミット」という現象は正しいのだと思う。要するに言えば水をやりすぎているのだし、「なんでエレクチオンしないのよー!」って詰められるほど心は醒めてしまう。執着をなくすためには同時並行が特効薬ではあるのだけど、相手の異性には独立した人格があって、記事は書いた人の成果物だという大きな違いもある。啓発目的での疎外が許されるのはあくまで自身の成果物であるべきだ。
大量行動をする時には、お前は俺ではないという倫理も併せて必要となるし、それは俺が書いた記事はお前にとってそこまで大切ではないという鏡像に気づく足がかりにもなる。なんにせよ、個人的な思い入れが強いときほど周囲との温度差を念頭においてほしいなと。エンタメにメタな悲壮感が漂いはじめるのがすごく苦手。

- 作者:藤沢 数希
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/06/24
- メディア: 単行本