太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

藤井太洋『ハロー・ワールド』感想〜政治性を帯びた新技術によってあり得たかもしれない静かな革命への祈り

ハロー・ワールド (講談社文庫)

ハロー・ワールド!

エンジニアの文椎(ふづい)が作った広告ブロックアプリがインドネシアで突如売れ始めた。そこに隠された驚愕の事実とは。検閲や盗撮などの問題を描いた表題作「ハロー・ワールド」をはじめ、インターネットの自由を脅かす行為に、知識と技術で立ち向かう文椎の、熱く静かな闘いの物語。第40回吉川英治文学新人賞受賞作。

 AIエージェントの本格化によるワクワクと醒めた気分が半ば混在するなか、藤井太洋の『ハロー・ワールド』を読んだ。カメラデバイス脆弱性、自動運転、ドローン、ライブストリーム、マストドンビットコイン、スマートコントラクト。そこに付随する革命の兆しとハイプサイクルの結果論。決してゼロになったわけではないが、人間の生き方までは大きく変わらなかった現実界の現実解。

 複数の短編小説に 一貫して登場する主人公の名前は文椎泰洋(≒藤井太洋)。まるで北町貫多(≒西村賢太)のごとき私小説でありながらも、技術がもたらすある種の革命の現場に居合わせ、一介の技術者としていくばくかの寄与をしていく技術者版の『Call of Duty: Black Ops』とでも言うべき誇大妄想的な飛躍が同居する。

 本書には、現代のデジタル社会に実在する会社や技術が実名で登場しており、しかも物語内ではそれらの機能的特徴がほぼ現実そのままに描かれていることにより、単なるフィクションとして割り切ることのできない地続きのリアリティがある。でも、だからこそありえたかもしれない世界線への祈りのような寂寥感をも感じてしまう。

 現実的な開発者だからこそのちょっとした介入

 たとえば文椎が開発した広告ブロックアプリがインドネシアでヒットする描写は、アジア地域における急速なインターネット普及と、それに伴う情報統制の問題を端的に表している。読者はこの“リアルな設定”に引き込まれながら、自然と現代社会の問題構造に向き合わされる。これはSFの形式をとった社会批評であり、技術小説であり、さらには道徳的寓話でもある。

 文椎は、典型的なヒーロー像とは程遠い。カリスマでもなければ、万能な天才でもない。むしろ、他人のコードを改造したり、既存のソフトウェアの応用で乗り切ったりする“現実的な開発者”である。誠実で、義理堅く、けれどちょっとズレている。彼の人物像には、よくある「無敵のハッカー」的誇張が一切ない。

 この描き方こそが、藤井作品のリアルさの根幹をなす。文椎は、時にミスをし、仲間に助けられ、失敗から学び、成長する。彼のようなキャラクターは、現代のスタートアップ文化や、非中央集権的な技術コミュニティのリアリティを強く反映している。汪、郭瀬といったチームメンバーもそれぞれが技術的知見や社会的経験を持ち、文椎の限界を補完する存在だ。チームプレイによる問題解決は、現実の開発現場を彷彿とさせる。

 最終章を除いてやっていることは個人開発アプリの頒布やオープンソースへのコミットであったり、ドローンやサーバー資源を提供するようなちょっとした介入に過ぎない。でも、だからこそ大きく変わったかもしれない未来がそこに描き出される。雰囲気としては2chの8月危機騒動が近い。

政治性を帯びざるを得ない新技術開発

 表題作において、アドブロックは単なる便利ツールではなく、強い政治性を帯びた道具である。文椎の開発したアプリが思わぬ形で東南アジアの検閲システムをすり抜けることで、情報の自由と国家による統制という大きなテーマが物語の中核に浮かび上がる。

 インドネシアや中国に代表される“インターネットの国境”は、言論の自由を脅かす現代的な壁である。広告を遮断する技術が、検閲もまた無力化する――その仮定が、現実世界においても実際に起こり得ることを我々は知っている。現代のSNSやニュースサイトが広告と情報の境界を曖昧にしているからこそ、アドブロックは検閲回避技術としての側面も帯びうるのだ。

 また本作ではしばしば「空からの目」としてドローンが登場する。それは監視社会の象徴であり、それを政府も反政府も営利企業も個人も使いうる現代を表している。無人機のカメラが日常に入り込んでいる未来は、既に現代の物流や軍事において部分的に実現されており、読者にとっても他人事ではない。また遅延なしの「ライブストリーミング」が非常に重大な結果をもたらしてしまうのだが、これなど先の山手線一周ライブ配信して事件に巻き込まれたライバーの予言的描写と言えよう。

 また、ビットコインもただの仮想通貨としてではなく、国家の経済的統制を逃れた資本の動きとして描かれる。この点において、藤井は非常に的確な視点を持っている。国家という制度に従わない価値移動の手段は、確かに自由を拡張するが、同時に規制不可能なマネーロンダリングや闇取引の温床にもなり得る。物語はこれらの問題に対して明確な解を提示しないが、その複雑さを正確に伝えている点で、極めて誠実である。

実存的なテクノロジーとモジュール的な物語構成

 本作に収録されたそれぞれの短編の構成はまるで舞台演出のように精密で、視点の転換や情報の開示のタイミングが緻密にコントロールされている。これは、ある種ソフトウェアの設計にも通じる方法論だ。読者が混乱せずに文椎たちの行動を追い、時に驚かされるのは、作者がシーンの展開において「UI/UX的な感覚」を持っているからだと言える。

 また、文章そのものも非常にモジュール的で、特定のテーマや概念を一度に深掘りしすぎず、段階的に組み立てていく形式をとっている。これは、藤井の技術畑出身というバックグラウンドに依る部分も大きいだろう。読者はまるで、GitHubのプルリクエストを読むような感覚で文椎たちのプロジェクトを追体験できる。

 先にも触れたが物語内では、TwitterYouTube、Cloudflare、GitHubなどのWebサービスが実名で登場する。これは単なるリアリティの担保ではなく、「もし現実の技術者がこの世界のこの状況に配置されたら」という“パラレルな現実”への接続を強く意識させる装置でもある。

 この物語を読者が「ありえたかもしれない未来」として読むことができるのは、こうした細部の現実感によるものだ。そしてこれは単なる小道具の活用に留まらず、現実とフィクションの境界を溶かす仕掛けにもなっている。現実のWebインフラが、国家的プロパガンダや検閲のツールにもなり得ることは、今日ますます明らかになってきている。

冷静さの中に燃える静かな革命への祈り

 藤井大洋作品に共通するのは、派手な戦闘や陰謀劇よりも、現実の延長線上にある「ちょっとズレた世界」で静かに火を灯す人物たちの姿だ。『Gene Mapper』や『オービタル・クラウド』にもそれは現れていたが、『ハロー・ワールド』では特にその“静かな革命”の美学が強調されている。誰かが大声を上げて世界を変えるのではなく、小さなコードと小さな勇気が連鎖して、やがて大きな波を作る。

 『ハロー・ワールド』は、エンタメ小説としても、社会派SFとしても、高い完成度を持つ。そして何より、現実のテクノロジーと社会課題に正面から向き合う誠実さが、作品に確固たる価値を与えている。我々はコードで世界を変えることができるか? その問いに対し、この小説は明確な「Yes」も「No」も語らない。ただ、選択肢と可能性をテーブルに並べ、「あなたならどうするか?」と問いかけるのである。その問いこそが、技術の時代における物語の力である。

 説明するまでもないが、"Hello World" とはプログラミングを初めて学習するとに画面に表示させることが多い言葉だ。新しい世界へのDay 1として、どのような寄与ができるのか。静かに少しだけ変わるかもしれない未来を夢想しながらキーボードを叩く高揚感にアイロニカルな没入をする。