太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

はてな婚活には知らぬ間に「地雷」で足切りされてる安心感と地雷原を掻い潜ってきてほしい欲望の無様さがある

「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま

はてな婚活問題

ブコメを見れば人間性はある程度判断できそう。
過激で極端なこと言ってスターを荒稼ぎしている人よりは、
地味で目立たないけど堅実で誠実なコメントをし、そこそこスターを貰ってる感じの人のほうが信頼できる。
機転の効いたユーモアのある返しができる人や、場を和ませようとしている人をみると素敵だなと思う。

 定期的に話題になるはてな婚活。今回はブコメの話だけど、拡散される時点でスペック開示が先行しがちなTwitter婚活とは異なり、id に紐づいた幾つものコメントそのものが注目されるのであれば、各々の興味や思想がわかるので確かに良い側面もある。

 特に差別感情だったり陰謀論だったりの思想が炙り出されているアカウントを「地雷」として避けられるのは大きい。その一方でだから会いたいのかと言われると難しさもある。あくまで地雷による足切りに意味があるんじゃないかと考えている。

はてな婚活には知らぬ間に足切りされてる安心感がある

 僕自身はあまり過激なブコメをする方ではないが、ブログに駄文を書き連ねて良かったと思えるのは知らないうちに「こいつはない」と足切りされてきた歴史があること。根が神経質で尊大でセコくて他にも色々と奇妙なこだわりがあるが、現実世界に表出する際には見栄っ張りなちいかわになってしまうので息苦しさを覚えがちだ。

 先にブログを読んでおいてもらえば、後になって話が違うという修羅場を始まる前から反出生的に避けられる可能性が高まる。結婚生活には好きなものが一致するよりも、嫌いものが一致する方が良いとか、自分が許せないことを相手が好きでないかが重要だと言われている。

 勝手に地雷を踏まれて足切りされて嬉しいのは自分自身が切られた痛みをあんまり感じないことだ。何らかの情が発生してから根本的なアンマッチがわかるのは悲しい。その一方で地雷避けのマッチングができたところで「だから二人で会いたい」という話にはなりにくいのが問題だろう。結句、連絡が来ないという点において理由は分からないのだ。

 なので先に参加者のIDを明示してNGIDを調べた上で開催する「はてな婚活パーティ」が良いんじゃないかってのが5年前に通った道だった。何の成果も得られなかったけど。

地雷原を掻い潜ってきてほしい欲望の無様さ

 そんなわけで、地雷を避けることはできるかもしれないがブコメやブログを読めば思想が近い人がって話については疑問を覚える。そもそも趣味や思想の厳密な一致を求めるのであれば一人で過ごしているのと変わらないし、「わかる」「それな」しか会話が許されない神経衰弱は何も生み出さない。そしてブログに書いているのだからと伝わっている部分は極一部だ。むしろ、エスパーが通じると思って始まるラブファントムもある。

そうなる前に必要だったのは互いに対立しえる気持ちがあることを前提にした心理的安全性の高い対話とすり合わせ。神経衰弱のようなコミュニケーションを繰り返しても情報量は増えないが、反論が発生しえる対話によって止揚された結論が出ることもある。本来的には違うからこそ価値がある。

 『花束みたいな恋をした』において大切なのは、趣味がどれだけ似ているかよりも、だからこそ似ていなかったミイラ展やガスタンク巡りが重要であり、別にそれは一緒に楽しめなくても良いと思えること。そもそも異なる人間同士だからこそ地雷避けができていれば1+1が200になって10倍にみたいなことを書いてて虚しくなった。

 結局は、自分が恋愛や結婚の主体的運用を担う与党になるつもりがないから言える野党的理想論だし、空気の読めなさを棚に上げて言語化して議論してアウフヘーベンしなければならないという思想もクセが強い。そして露悪的に提示した地雷原を掻い潜ってきてほしい欲望こそが無様だ。

誰も攻めて来なかったこんなところ
ちっぽけな縄張りを世界と思ってた
きみに出会ってから
色めきはじめたぼくは
侵略されるまいと、ただ
そんな器もないくせに

城

 この「城」は侵略されるためにこそあったが、そもそも誰にも欲しがられていなかったのだと気づいて縄張内の地雷を少しでも撤去しているのが近況なのかもしれない。