空中に浮いたスパゲッティの安心感
むしょうに洋食が食べたくなることがある。本格的なフレンチもイタリアンもあるのだけど、食品サンプルが置いてあるような日本独特の「洋食」を箸で食べたいという事のが多い。
食品サンプル棚で永遠を約束されたカツレツ、フィッシュフライ、オムレツ、ハンバーグ。フォークが空中に浮いたスパゲッティが連れてくる郷愁や安心感。パスタじゃなくてスパゲッティ。パスタを茹でてばかりの村上春樹も『スパゲティーの年に』という短編を書いている。
村上春樹は、このような短編を大量に書いていくなかで、「概念のパーツ」を作り上げる手間を惜しまなかったからこそ、濃密な長編を書く事ができたのだ、と僕は勝手に思っている。空想で消費された「1971年のスパゲティー」は、まだ「パスタ」を茹でる前の話である。
幼少期に過ごしたデパートやショッピング・モールがなかった地元でのご馳走はもっぱら洋食屋であった。
細野晴臣が常連のお座敷洋食レストラン
ハチローは恵比寿と白金の間にある洋食屋。看板の「お座敷洋食レストラン」というキャッチコピーがよい。YMOの細野晴臣も常連であるという。
夜に定食相当の食事を食べようとすると結構掛かるけどランチであれば、ごはん・味噌汁・小鉢がついて700円と急激に安くなる。レトロな雰囲気の店内と流れっぱなしのテレビ。昔の食堂はテレビが流れていたよなぁ。下世話なワイドショーであっても、久々であれば妙な味わいがある。ゲス不倫か。
茶碗と箸で食べる洋食
セット定食は、カニクリームコロッケと魚フライがひとつづつ。ウスターソースと辛子をたっぷり付けたフライをジャンクに食べつつ、豆腐でさっぱり。これこれって感じの安心感と満足感。茶碗に入ったごはんと味噌汁がいかにもな日本風洋食を主張している。
考えてみると自分が好きな洋食屋は茶碗と箸で食べられるところが多い。どうにも皿に乗ったごはんをフォークで食べるのが好きになれないから箸で食べられると嬉しい。フォークを背にしてライスをナイフで載せるという日本独自の謎マナーを含めて「洋食」なのかもしれないけれど、好き嫌いなんてのは生理的でいい加減なものであって、薀蓄を先行させてもしかたがない。