逆婚活健康法
久々に色々な事がワーッとなっていたのだけど心の平穏を取り戻しつつある。感傷に浸り続けたい願うことすら、今の自分には贅沢なのだ。とはいえ、欠落感のようなものを埋めるために夜の街を彷徨っても後悔をするだけなので、家からでないようにしたい。そんな時にはニンニクマシマシの家系ラーメンが役にたつ。
ちゃんと婚活をしようと思えば婚活健康法なんて事もできるのかもしれない。せめて街コンやお見合いパーティに行く予定でもあれば少しぐらいは運動をしたり、酒やラーメンを控えたり、ファッションに気を使ったり、世事を知ろうとするだろう。僕には「過程」こそが重要なのだ。人を大きく成長させるのは受験と就活と恋ぐらいしかないのだけど、婚活はそれらの複合競技としての色彩を持っている。まったくバカみたいな話だけれども。
おもえば、2年前に書いていた「婚活健康法」の逆になる。ガーリック・ウィークエンドにヴァンパイア・ウィークエンドを流すことはできない。自傷行為としての家系ラーメン早死に三段活用はいっときの苦痛を軽減し、生きる時間を減らす。生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会・求不得苦・五陰盛苦。四苦八苦。生きることは苦しむことである。
優雅な生活が最高の復讐であるなら僕は頽廃せざるを得ない
ところで、フィッツジェラルドが『夜はやさし』のモデルにしたという画家ジェラルドとセーラのマーフィ夫妻の優雅な交流を描いた『優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)』という作品がある。正直まともに読めていないが、このタイトルは強烈であるし、真理も突いている。
だけど、僕のなかに「復讐」なんて動機が生まれるわけもなく、ただただ残るのは祈りのようなものであり、その祈りを成就させるための運動量こそが自身の頽廃に現れるのではないか。すなわち、堕落し、頽廃し、未来の後悔を起こしうる彼女の選択肢として僕自身を居座り続けないようにすることこそが祈りなのである。
「あれは間違いだったかも」なんて相手にひとときでも思わせてはいけない。そんな可能性を僅かにだって考えることこそが独りよがりの煩悶なのだけど、怠惰な生活を送ること、それ自体が最低な祈りとして作用することもあると願って緩慢な自殺を繰り返す。

- 作者:カルヴィン トムキンズ
- メディア: 文庫