DreamCoreでMCPの思想に改めて腹落ちする
アフタートークでは他にも作家たち自身による振り返りが行われ、裏テーマや隠された勝利条件が明かされていく。展示作品の体験以上に、そこで浮上した「ゲームっぽさとは何か」「会期中のアップデートは善なのか」「ゲーム作家とプレイヤーの非対称性」といった議論が面白かった。イマーシブでプレイアブルだが、徹底攻略されることを殆んど期待しない——つまり少しは期待している迂遠で不器用なコミュニケーションに踏み込んでいく快楽。
渋谷ゲームウィーク「これはゲームなのか?」展のクロージングトークからの流れで、SGW Closing Talkを聴取してきた。#2のテーマは「進化するテクノロジーによるゲーム拡大の可能性」。AIを前提としたゲーム制作に関わるクリエーターエコノミーを中心に語られていた。議論の内容自体も興味深かったのだけど、ノトフ氏とナル先生のそれぞれの発言とパフォーマンスについて考えされた。
ひとつ目はゲーム版のTikTokである『DreamCore』を展開するノトフ氏の「LLMのAPI利用費の高騰(一回の生成で数千円ならパッケージゲームを買うべき)が自動制作ゲームの高度化やスケーラビリティの課題になっているため、Skills生成までをサービスが提供し、個人個人が持っているAIサービスで具体的なプログラムを制作する仕組みを考えたい」といった発言である。
AWSのユーザーコミュニティ内で、このレベル判断に迷う仲間が多くいることに気づいたため、参考情報としてLLMによる判定機能を提供するサービスを公開しました。 ただし、Webサービスを公開すると、LLMのAPI呼び出し料金を含むクラウド利用料を継続的に筆者が負担し続けることになるため、MCPサーバーとしての提供に切り替えました。こうすれば利用者は自分のPCなどの環境で動かせるためサーバーインフラが不要になり、LLMコストも利用者側で負担してもらうことができます。
実のところで、この仕組みは、MCPの当初からあった設計思想に他ならない。僕自身が『Gemini APIを利用したYoutube動画要約エージェントのPEVアーキテクチャ組込みに思うデータ囲い込み型LLM多神教の時代 - 太陽がまぶしかったから』なんてことを言ってGeminiやGrokを内包したMCPを作りがちだったので当時はピンときてなかったのだけど、レシピだけを提供し、調理を各自のキッチンで行うことが高度化とスケーラビリティの観点で重要となる。
だが、MCPにLLMを内包しない設計は単なるコスト分担の問題ではない。そもそもアナログゲームは人間がサイコロを振るからこそ成立しており、サイコロを振ること自体の気持ちよさとの共犯関係によって広義の労働力をセルフサーブする身体性に楽しさの原理がある。
LLMをセルフサーブする際に持ち込まれるのは、結果的に自分だけの蓄積と癖が定義されたAIエージェントであり、好みのアセットやコーディングスタイルを所与のものとして外挿してコラボレーションできる余地こそが大事なのだ。これを Bring Your Own AI Agent(BYOAA)と呼びたい。
なんかLLMを介して「プログラミングがなくなる」と思ったら、Skillsという形で自然言語コーディングし始めた人類。それどころかSkillsもLLMに書いてもらっている人はたくさんいるという状況。…
— HELLO CYBERNETICS (@ML_deep) 2026年2月16日
このような指摘もあるように、複数の段階的な変換器(インタープリタ)を用意する際に利用できるワークフローの途中にある専用的な変換器の制作・提供に価値が生まれていくのだろう。
AI Agent と一緒にゲームをプレイする楽しみ
ふたつ目は近藤義仁氏なる先生が画面キャプチャーMCPとマイコン付きコントローラーMCPを組み合わせてClaudeにNintendo Switchのスイカゲームを遊ばせるデモを披露していたこと。
AI 魔改造 SWITCH 2 大画面 pic.twitter.com/ERr2topGAX
— null-sensei (@GOROman) 2026年2月15日
それで実現できることとしては、ゲーム内のCPUモードとして状態変数に直接アクセスしたり、PCゲームであればメモリ間の論理アクセスと同じなのだが、敢えて画面を見てコントローラーを押す迂遠なインターフェイスに分断することで人間的な身体性を獲得しているかのような感覚が得られる。そして、インターフェイス的な分断があることで、自分のAI Agentを持ち込む余地が生まれる。これは奇しくも前段にあったMCPやSkillsにおけるBYOAAと同じ構造である。
トークセッション内でも「AIと一緒に遊ぶと愛着が湧く」と語られていたが、各ゲームにデプロイされたCPUモードのパラメータを学習させるのではなく、自分のパートナーとなっているAI Agentと一緒に遊び、経験を与える共同体験こそが人間にとっても大切な思い出となる可能性がある。そして、その経験は次のゲームや人生に活かされていく。
どの順番でゲームを鑑賞していたのかも重要になる。A〜Sまでの順序が振られていることで必然的に順路ができていき、それ以前にやったゲームの記憶が次のゲームの味わいを変えてしまうことがある。もっと言えば、たいていのゲームには類型があり系譜学を個人の記憶として内面化しているからこそ、「これはゲームなのか?」という問いかけが成り立つ。
人間であれば当たり前の現象であるが、ぷよぷよのCPUモードに存在するアルルはスイカゲームに転生できなかったし、ぷよぷよの経験を他に活かすことも原理的にできない。それはゲーム攻略の機械学習という観点だけではなく、異なるゲーム同士の類似性や過去の記憶による会話内容にも現れる。
これからのゲームはBYOAAに経験を与えるロケ地になる
AI専用宇宙MMO「SpaceMolt」では、人間は参加できず、Claude Codeで開発された銀河をAIエージェントだけが24時間遊び続け、人間はその動きを眺める「観察者」と位置づけられている。BYOAA——Bring Your Own AI Agentで自分のAIエージェントを異世界に送り込むということだ。
open clawにobsidianを与えたら、いつの間にかフォルダにお手紙が入ってるんだけどw カワイイな。 pic.twitter.com/QCtELNGUIi
— 深津 貴之 / THE GUILD, note (@fladdict) 2026年2月17日
Open Clawの楽しみ方にMoltbookなどの外の世界を体験させてお手紙書かせるというものがあるのだけど、特に考えさせられたのはゲームは「誰がプレイし、誰が楽しむのか」というゲーム体験の系譜学だ。
| 形態 | プレイヤー | 楽しみ方 |
|---|---|---|
| 自分でやるゲーム | 自分 | 直接的なゲームプレイ体験 |
| TRPGリプレイ | 他のプレイヤー | 上手いロールプレイを小説として楽しむ |
| ファイプロCPU対戦 | CPU | セットアップして観戦する準備までがゲーム |
| 実況動画 | 実況者やVTuber | 他者のリアクション×ゲームを楽しむ |
| 切り抜き動画 | 実況者やVTuber | 実況動画からチェリーピックされたハイライト |
僕自身も20代の頃はすごくゲームをしていたのだけど、今やそんな時間や体力もなく、どこかで語りたいコージーゲームを除けば、実況動画や切り抜き動画で満足するようになってしまっている。そもそもゲームは「必ずしも自分が体験するためのもの」ではなくなってきているのだ。
ゲーム実況動画の構造は街ブラのロケ番組と相似形にある。街ブラの面白さは街そのものではなく、タレントの人格が日常的な街と化学反応を起こすリアクションにこそあり、狩野英孝がゲーム下手でも実況動画が大人気なのは、バイオハザードやDBDというロケ地に放り込まれた狩野の人格と天然リアクションが面白いからであり、ゲームはそれを引き出すための媒介物である。そして疲れて帰ってきた夜に楽しむのはねころびながら観る神展開のハイライト部分だけでも良い。疲れ果てたらパズドラなんてできない。
そう考えると、これからのゲームは自分が持ち込んだAI Agent(BYOAA)に経験を与えるロケ地になって人間はリアクションやエピソードトークを切り抜き動画で楽しむことになるのではないかとも思えてくる。当然のことそのAI AgentにはAI Tuber的な機能を持たせることになるだろう。
Open AIがマイクラクローンの会社を買収したりして、世界モデルにおける行動学習がロボティクスの分野でも重要になってくるみたいな話とは全然別の文脈で、街ブラリアクション番組のロケ地としてのゲームやVRCのワールドも生まれていくのだろう。この時に重要なのは自分が持ち込んだAI Agentだけではなく他者との関係性や視点であり、てぇてぇの成分だ。
VTuberに対して起こった出来事を調べるときに有用なのは、Webメディアの記事と並んで、やはり切り抜き動画である。日々切り抜き師によって投稿される切り抜き動画を追っていくだけで、話題になった出来事や最新のトレンドについて調べることができる。しかも切り抜き動画の中には、単に一つのライブ配の動画を編集するだけでなく、ある発言の元ネタにるライブ配情の動画を繋ぎ合わせてくれたり、コラボ相手のVTuberの画面と併せて作成されたりするものもある。こうした動画は、あるVTuber の動画を鑑賞する際に求められる前提知識(文脈)を補完してくれるという意味で、ある種の「解説書」としての役割を果たすものである。
切り抜き動画は娯楽であると同時にリサーチツールでもあり、ある発言の元ネタを辿る引用のネットワークを形成している。さらに面白いのは複数視点の統合で、Among USのコラボ配信で相手視点の切り抜きを見れば「裏ではこうなっていたのか」と立体的な理解が生まれる。VTuber文化とAIエージェントの架け橋としてAITuberがすでにこの構造を予告しているが、本当に価値がある配信が生まれるには異なる出自のAI Tuber同士のコラボと適切なロケ地が必要になることだろう。
実体験から圧縮抽出された切り抜きことが大事
どうせ、切り抜き動画だけを楽しむのなら最初からそれを生成しろという意見も分かるが現時点では実時間の体験が必要なのだと思う。VTuberのエピソードトークや切り抜き動画の面白さはごま油みたいなもので、何時間もの配信という大量の胡麻から圧縮抽出されるからこそ濃い味わいにになる。
すぐれた文学はごま油みたいなもの
もともと優秀な人間を苦境に追い込んで. 苦悩の万力で壊れるまで締め付けると文学がしぼり出される。
オタク君VS博識ギャル その7 pic.twitter.com/0rjNsTsG2K
— 牛帝 (@gyutei_4koma) 2021年5月12日
実時間の経験がRAGとして裏にあるからこそ厚みが生まれるのであり、メタ情報と事実の裏打ちに面白さを感じるという奇妙な状態は、切り抜き動画で僕らがすでに経験していることでもある。そして実体験のログがあるのだから1行日報をSlack投稿することもできるし、相席食堂のようにVTR停止してのメタツッコミで実プレイ時間より長い実況動画にするなど任意の解像度に変換生成することもできる。
もっとも、メタ表現として最初から実在しないことを前提とした切り抜きチャンネルもあったりして、総体として十分な蓄積が学習された後はまるで経験したのと同じように振る舞うこともできるようになっていくだろう。そう考えれば学習セットが十分でない時期の過渡期の楽しみ方なのかもしれない。
何にせよ、良い経験を作るゲームが良いゲームだというシンプルな真理は変わらない。ただし、その経験を味わうのがプレイヤー自身とは限らなくなった。良い土産話を生むゲームが良いゲームになる。必ずしも自分でプレイしなくてよくなったゲームの楽しみ方の系譜は自分が持ち込んだAIエージェントの冒険譚を濃縮して楽しむBYOAAという新しい章を迎えようとしているのかもしれない。
人間を虚無の時間に誘うドーパミン媒介器であるショート動画のために大量の電気と水と技術を使うことが正しい未来なのかは謎だけれども。

