お金の価値を相対評価しないようにする
ひとつひとつの細かい節約や合理化にはよく気がつくのに、投資や高額商品における万単位の損で台無しになることがある。
貧乏な人はあまりに情報やコスパに無頓着であるというイメージがあったのだけど、ネット社会における「貧乏になる人の特徴」は皮肉なことに、「情強」や「コスパ」を追求しすぎていることなのではないかと思えてきた。
お金を相対的に捉えているがゆえに、高額商品になると途端に感覚がマヒする。
たとえば300万円の自動車を買う際に、15万円するカーナビをオプションでつけることに躊躇しない。
スーパーで買い物をするときには1円は10円単位で気にするが、自動車本体の300万円に比べれば、15万円は相対的に小額だから、「安い」「まあいいか」となる。
相対比較ゆえに、自分が支払うことになる「金額」では考えられなくなるのだ。
問題なのは節約できた金額をひとつひとつの「相対評価」として捉えていること。スマホ料金が30%安くなったとか、ポイント10倍還元などのレトリックも相対評価を促進する。資産形成にとってはその消費金額が「絶対評価」としていくらかかったのかという問題となる。100円単位の節約を10回繰り返しても万単位の損失は取り返せないし、少しだけ働く時間を増やせば解決できる程度の金額に認知資源を消費しすぎなのではないか。
フールペナルティ型ビジネスの本質
そういう「面倒くささ」は、時間選好の強い人がもっとも苦手とするものだ。退会の意思確認ページをたらい回しにされるうちに、だんだんと嫌になってきて、最後には投げ出してしまう。あるいは書類の記入欄の多さにたじろいで、「明日やろう」と考え、そのまま放置してしまう。
「貧乏になるひとの特徴」として過去に提唱したフールペナルティ型ビジネスを紹介いただいたのだけど、ここで強調したいのは単発の「面倒くささ」だけではなく、「これとこれはできたが、それは疲れたから明日やろう」という認知資源管理ゲームにおける連続性の問題である。
繰り返しますが、ひとつひとつは冷静になれば大した話ではないのです。それでも契約数が多くなるごとに暴力性を帯びてくるように思われます。短時間のうちに使える意志力の合計量は個々に決まっており、それを超える意志力を発揮するのは難しいわけで、10個までなら冷静に対処できても100個になれば1個ぐらいバカになる瞬間がでてきてしまうのも仕方がないのです。
少しだけ報われる「面倒くささ」はたくさんあるし、繰り返す充実感もあるのだけど、それが相対評価による「気分の問題」に過ぎないのであればのめり込むべきではない。「面倒くささ」と向き合うことは前提だが、そこに疲れてしまうと次の罠にはまる。フールペナルティはバカへのペナルティではなく、3の倍数でバカになった瞬間へのペナルティなのだ。
本当に必要なことは「面倒くささ」に正面から向き合い続けることではなく、「面倒くささ」が必要となる場面をいかに減らして余裕を確保すること。そして、その効用への絶対評価による優先順位を明らかにすることだ。じぶんが「情強」であり「コスパ」を考え続ける賢い消費者だと思えてくるほどに、認知資源が奪われて馬鹿になってしまう可能性も疑いたい。