太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

呪術めいた願断ちの効用を期待しないよう断酒5ヶ月目にして禁を破る

しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

願断ちの効用を期待しないように禁酒を破る

  同じ町田康の著書にこんな一節がある。自分がブログを毎日書いているのもそれだろうし、本書にも似た思いを感じる。酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しいし、寂しいのが「普通」だ。しらふで生きるというのはその現実を受け入れて生きるということなのだろう。

 思うところがあってずっと断酒をしていたのだけど、敢えて破ることにした。ちょうど寝付けなかったとか、ちょっと健康オタクになりすぎているとか色々とあったのだけど、一番の理由は呪術めいた願断ちの効用を期待しないようにする為だ。

期待と現実の呪いを作りださない

 神仏に願かけするときに飲食物などを断つことを「願断ち」といい、戦国武将などが塩断ちや茶断ちなどをしてきた。K1選手の故アンディ・フグが絶対に冷たい水を飲まないようにしているというストイックさに驚いたものだ。

 その最たる物が酒断ちであろう。そこには実利的な効果も含まれているのだろうけれども、大部分は呪術めいた効用を期待してしまう自分がいる。「酒を飲まない」という事さえ守っていればアイスやラーメンを代償的に食べてようがとなるし、何か良い事があるんじゃないかという期待が産まれ、いつしか呪いに変わる。

連チャンを止める覚悟

 「ブログを毎日更新しろ」というのは、それこそ2013年ぐらいからプロブロガーと呼ばれるブログの広告収入で生活する存在がしきりに主張していた事だ。とにかく毎日更新すればいつかは救われるという宗教。

 それはブログ毎日更新教と同じで、何らかの連チャンを続けていく事に代償を求めてしまうし、いつしかその記録を更新する事だけが自己目的化する。それは自由意志ではなく、依存しているという意味では同じになってしまう

 そんな訳で何を飲もうか迷ったけれど角瓶ウィスキーのロックにしておいた。ビールはノンアルコールで十分だし、甘いストロングゼロを飲みたい訳でもない。まぁそれなりに美味しかったが、それだけだ。思ったよりも感動はしないし、渇望するほどのものでもない。適当なところで連チャンが中断したのでまた最初から始めよう。