パワハラも派遣切りも許される16人の開発チーム
Anthropic が「Claude Code を16体チームで並列に走らせて、人間がほぼ介入せずに Rust 製の C コンパイラをゼロから作らせた」という記事を公開した。
Opus 4.6 を使い、約2,000セッション、API費用2万ドル(約300万円)、2週間で10万行の Rust コードが完成した。Linux 6.9 を x86, ARM, RISC-V でブート可能、GCC torture test 99%パス、DOOM もビルドして実行できたという。
300万円を個人で支出するのは難しいが、実際の人間16人を2週間雇ったら1000万円近くになることを考えると十分に安いと考えることができるのだけど、それ以上に人を雇うための面談をしたり、稟議を書いたり、PCを用意したり、セキュリティ研修をしたり、ミーティングしたり、飲み会をしたり、気まずくなったりすることなどを考える必要がない。
徹夜で働かせても労災が発生しないし、短期間で解雇しても問題ないし、無茶を頼んでもパワハラで訴えられない。かつて数十名規模のプロジェクトに関わっていた時期があったが、気苦労が多くてしんどかった。人数が増えるほどに連絡がつかなくなってしまうとか、誰それと仲が悪いとか、携帯電話を無くしたとかが確率論的問題で起こり、開発とは関係ないトラブル対応で進捗ゼロのまま疲労困憊なんてことも出てくる。
AI エージェントには責任能力がないが、請負契約をしていない人員に厳格な責任を取らせるなんてできないのだから、その差は思ったほど大きくない。そうなってくると集団人間系を動かすプロジェクトマネージャーとして必要な「人間力」の種類が変わっていくのだろうとも感じている。
AIエージェントチームのためのマネジメントイベント
元の記事で、特に面白かったのは、「I had to constantly remind myself that I was writing this test harness for Claude and not for myself」という部分だ。Claude には言語モデル特有の弱点があり、人間向けではなく LLM 向けにテストやフィードバックを設計し直す必要がある。
- テスト出力が何千行も流れると Claude が混乱するコンテキスト汚染を起こすため、結果は数行だけ表示して詳細はログファイルへ出力し、エラーは
ERRORを理由と同一行に出力して grep で拾えるようにする - 何時間もテストを回し続ける時間感覚の欠如に対しては。
--fastオプションで1%〜10%のランダムサンプルだけ実行させる - 自己位置把握の困難性については README と progress ファイルを頻繁に更新させ、起動時にまずこれを読ませる
どれも人間のためではなく Claude のために用意するマネジメントイベントだ。人間の部下なら「テスト結果を要約して報告して」と言えば済むが、Claude にはそもそも何を報告すべきか、何行までなら混乱しないかを環境側で制御してやる必要がある。
マネジメントの対象が人間からAIエージェントに変わったとき、1on1 の代わりに progress ファイルを整備し、朝会の代わりに grep しやすいログ設計をするということが必要になってくる。そう考えるとスクラムについても対AIエージェントに適したやり方を改めて考えていくべきなのかもしれない。
現状は「正解があること」を書き換えるからうまくいく
とはいえ、AIエージェントだけでうまくいくパターンは今のところ限られていると思っている。Cコンパイラの例でも、GCC を「正解のオラクル」として使うことが前提となっている。カーネルのほとんどのファイルを GCC でコンパイルし、残りだけ Claude 製コンパイラで処理することで、うまくいっていない部分を特定する手法が書かれている。
自分がコードと正解挙動を保有しているならレガシーマイグレーションプロジェクトから逃げなくて良い時期に来たと思っているのはそういうところにもあって、普通にやったら億単位になるリプレースであっても専任エンジニア数名+数百万円の AI 利用費ぐらいのオーダーでできる可能性が高くなっている。逆にいえば「正解がないこと」で同じようなことはできない。正しい仕様を考える側がボトルネックになるからだ。
そんなわけで、あらゆるプロジェクトが完全にAIエージェントチームでできるようになるなんてことは現時点で夢物語である一方で、数年以内には分からない。そんな時に、単価が安かったら迷う理由がないし、仮に単価が高くなってさえも、集団人間系にまつわる難しさを加味すると結果的に安く感じてしまうんだろうなと思っている自分がいる。
集団人間系ハーネスの過渡期
AI エージェント16体を率いるのに飲みニケーションは要らない。もし限界プロマネがパワハラも派遣切りも許される AI チームを人間と同じ人月単価で雇えるとしたら、あの頃の僕は間違いなく飛びついていただろう。
退職代行、内定辞退代行、別れ話代行……。これらは現代人の「言いにくさ」や「気まずさ」を代行するサービスだ。対人ストレスや感情的摩擦は、もはや“自力で乗り越えるもの”ではなくなりつつある。代行してくれる人に金を払えば済む。いや、金を払ってでも逃れたい。そんなニーズが社会的共感を得る時代になった。いま、私たちは「情緒のアウトソーシング」という局面にいる。「めんどくさい」が商品になり、「言いたくない」はサービスになる。
結局のところで朧げなる集団人間系ハーネスの価値が薄れていくのかもしれないし、そもそもプロジェクトマネージャー自体がいらない職業になってしまうのかもしれない。
携帯電話を無くす部下の代わりに、AIエージェントのハーネス対応に追われる過渡期があり、しばらくして来るエージェンティックな時代に、僕は生成AI利用禁止の自費出版雑誌でも作ろうと考えるのかもしれない。「買ってでもしたい苦労」なんてものはスラヴォイ・ジジェクのいうところの脂肪抜きのクリームであり、なかば醒めた昏睡状態でショッピングモールに群がるようなものなのかもしれないけれども。
