購買チャネルは「購買導線」から「体験OS」へ
オンラインで買っていた商品も、「どちらのチャネルで買ったほうがいいか?」を生活者が主体的に判断し、商品ごとに使い分けるようになっています。「価格」「手に入るまでのスピード」はもちろん、「家への持ち帰りの容易さ」「お試しのしやすさ」など様々な基準を複合的に判断しています。
このようにパンデミック禍でオンライン購買を経験した多くの生活者たちが、オンラインとオフラインを横並びで判断する「チャネル・リテラシー」が飛躍的に向上し、事業者各社はそれに対する「理解」が求めらています。
何気なく読んでいた本に書かれていたこの文を読んで「確かに」と思った。博報堂 EC+が提唱する最新のEC戦略では、ECは単なる末端チャネルではなく“起点”として全マーケティング活動を束ねる中枢だと位置づけられている。ここで鍵を握る概念が「チャネル・リテラシー」──生活者が“どの経路でモノ・コトにアクセスすれば未来の自分が得をするか”を判断し編集作業としての購買を試みる能力である。
スーパーの棚に並ぶパッケージ商品はどこで買っても同じもの。同じ商品がAmazonにもヨドバシのECにも並ぶ。それでも人は、なぜ「どこで買うか」を選び直すのか? ネット価格だけを見てAmazonを選ぶ時代はもう過ぎた。信頼感、配達スピード、返品のしやすさ、ポイント連携、保証対応、そして「あとから調べやすいか」や「邪魔をしないか」といった観点も購買の理由になっている。
Apple Storeとニトリに履歴を残す理由
Apple 製品は、どこで買っても中身は同じはずだ。しかしAmazonマーケットプレイスの謎の業者で買ったら詐欺的な商品が送られてこない方が珍しいだろう。このような最低限の信頼感は論外としても、ビックカメラなどの正規代理店で買うこともあまりない。Apple Storeで購入すると、Apple IDと紐づき、保証対応やサポートが一元化される。歴代の購入履歴自体がデジタル・コレクションのように表示されるのも大きい。
ニトリも同様。OMOと呼ばれる通販と店舗購入を一体化した会員アカウントで購入すれば、保証書いらずで履歴管理され、破損時もスムーズに交換対応できる。特に家具は組み合わせや交換時に現在のサイズ感などを店頭で検索する機会が多く、購買履歴が各通販サイトに散らばっていると難儀する。この“あとから検索できる”、"ひとつの棚に並べたように眺められる"という状態もひとつのUXであり、チャネル選択の理由付けになっている。
これはもはや、物だけを買うというよりも、購買チャネルが提供するサービス自体を付加価値として買っているとも言える。最安値ではない。最速でもない。けれども、チャネルの提供する体験が、価値になる。まり今の消費者は、「どこで買えば、未来の自分が困らないか?」という観点で選んでいる。
デジタル商品によってより重大化するチャネル選択
チャネル選択の感度は、動画配信や電子書籍などのデジタル商品でこそ顕著に出る。デジタル商品は購入チャネルの提供する’専用アプリでしか再生できないことが多く。複数のアプリで同じ漫画の異なる巻を買ったら気が狂ってしまうだろう。
AndroidのスマートフォンからiPhoneに移行するのにあたって、iOSに対応していないSony Readerの書庫ライブラリが肥大化していることへの危機感があるのですが、これはSony Readerで買った書籍が、全く同じ内容であってもAmazonのKindleに移行できない不自由さの問題でもありました。ほんとSony ReaerのライブラリをKindleに移行するサービスがほしい。手数料10%ぐらいは払うから。
10年前からこんなことを言っているが、普段は使わないサービスのセールで買い始めてしまった漫画のサンクコストだったり、マイナーサービスが終了してダウンロードできなくなったりというリスクを常に意識している。レコメンドも大事だ。
またAmazon Prime Videoが広告付きプランを導入したとき、多くのユーザーが“裏切られた”ような気分になった。なぜか?観る作品は同じでも、「広告を我慢する」というUXの改変が、映画の体験を変えてしまった。同じ作品をNetflixやU-NEXTで観られるなら、そちらを選ぶだろう。
Prime Videoは、“安さと網羅性”で勝っていたが、“映画体験” という手をつけちゃいけないものに手をつけてしまった。いや、追加料金を払えよって話でもあるが「チャネルの都合で追加で払う」という感覚に過剰に嫌な気分を抱いてしまうのも現在のリテラシーだ。
チャネル編集者としての生活者に寄り添う
このような購買チャネル・リテラシーについてChatGPTに聞いていたら、4Cを提唱してくれた。
4C要素 | 日本語 | 説明 | 具体例 |
---|---|---|---|
Credibility | 信頼蓄積 | 信頼できる根拠 | そもそも詐欺商品を送ってこない、事故対応がしっかりとしている |
Continuity | 継続性 | 購入後もアクセス・サポートが継続するか | Kindleで購入した書籍は10年後もクラウドから読めている |
Control | 可制御 | 生活者が自分の時間や情報をどこまで制御できるか | ApppleStoreやKindleのデジタルコレクション性 |
Cost-in-Context | 文脈コスト | 単価以外の手間・時間・返品・照会なども含めた総合コスト | ニトリOMOアプリの保証・サポート・履歴検索 |
こうしてみると、現代の生活者はすでに“編集者”である。購買体験も、視聴体験も「どこでそれを受け取るか」を自ら選び、自ら編集している。情報が氾濫し、選択肢が多すぎる今、我々はすでに“どのチャネルを通じて現実を体験するか”を自らデザインする時代**に生きている。つまり、チャネルを選ぶという行為は、単なる消費行動ではない。世界との接点を設計する行為そのものなのだ。
同じモノでも、どこで買うかによって未来が変わる。同じ映像でも、どこで観るかによって体験が違う。人と出会う場所が、関係性の文脈を決める。情報の信ぴょう性が、ソースではなく“どのアプリで見たか”で左右される。それが今の社会である。購買チャネルはもはやただの経路ではない。それ自体がメッセージであり、メディアであり、ひとつの選択的思想なのだ。商品や価格自体にこだわるよりも、購買チャネルとしての体験を見直すマーケティングが求められているのかもしれない。