忘年会スルー問題のおじさんサイド
今年は仕事関連の忘年会への参加や企画する機会が例年に比べて少なく、それを埋めるかようにインターネット界隈の忘年会に参加していた。「忘年会スルー」という言葉が流行っていたが、仕事関連の飲み会をスルーしたいのはおじさんになってからのが強い。
若者にとっての忘年会スルーの理由は「会費を払って説教される」という事に尽きるだろうが、おじさんにとっては「会費を多く負担した上に煙たがれる」という二重苦にある。きっちり割り勘で説教するサイコパスもいるのかもしれないけれど。
奢り奢られ問題と非対称関係
「会費を払って説教される」について考えると、婚活の奢り奢られ論争を連想する。女性は準備に時間をかかるし、つまらない話を聞いてあげるんだから食事代は払って当然という話だ。これを反転すると「食事代を払えば、準備に時間をかけてつまらない話を聞いてもらえる」という意味にもなる。
そもそも、若い女子に「さすが」「知らなかった」「すごーい」「センスいい」「そうなんだー」の合コンさしすせそをしてもらえたなら3,000円ぐらい奢ったれよとも思う。
自分としても奢るのは良いが、相手をコントロールする権利をお金で売買するかのような関係性を最初から作る居心地の悪さがある。結婚の理由に「金銭的安定」の比重が高まるほどに、婚活という言葉で漂白したライトパパ活の関係になっていくのは昔から同じなのかもしれないが、やるせない気分にもなる。尊敬できない人と一緒に暮らすのは難しい。
忘年会スルーはライトパパ活における「お手当が足りない」
話を職場の忘年会に戻すと、「忘年会での説教」はライトパパ活の一種なのかもしれない。10も20も歳が離れた若手に自慢話をして多めにお金を払うのは構造として同じだし、実際問題として忘年会に出席する条件に「食事代と残業代が支払われる」が挙げられている。
忘年会への参加は建前上任意であるというその会社で、ある女性社員がリーダーにはっきりと言った言葉が「忘年会に参加する時間もお金もどちらももったいない。上司の話を聞く必要があるならその時間の給料を払って欲しい」ということでした
つまり「きっちり料金を払ってくれるなら、つまらない話を聞くサービス業に従事するつもりがある」という話であり、会費を上司や先輩に多目に支払ってもらうぐらいでは「お手当が足りない」というのが忘年会スルーの理由となる。もちろん、全員がそういう話ではないのだけど、そういう意見を感じてまで企画したいかと言われると厳しい。
自分に得る物があるコミュニーションをしたい
そもそも他人に説教なんてしたくないのである。自分がしたいのは面白い人の話を聞く事であって、既知の事象をいくら話しても知識量は増えない。ブログやらTwitterやら職場以外の飲み会でアウトプット欲も満たせているし、下らない妄想は職場内コミュニケーションに持ち込むべきでもない。
そうは言っても全くの没コミュニケーションでは仕事にも支障が出る。ここ最近での職場内コミュニケーションの潮流として、勤務時間を使ったワークショップや 1 on 1 面談などに流行の兆しがあるのだけど、この辺はタバコ部屋や飲みニケーションが崩壊した荒野の中から産まれてきたのであろう。
会社の業務と明記した上でノンアルコールで対等な関係で話す機会を意識的に作っていくというのは、全てがライトパパ活した世界における「お手当が足りない」への対抗策のひとつとしてあり得るのかもしれない。情念をビジネスライクに操作しようとする世界観が本当に良いのかとも思うけれど。