アル中の世界を覗き見る
昼からストロング・ゼロを飲んでいると「自分はアル中になってしまったのではないか」という疑念が生まれてくる。アルコール中毒と言えばドラマや小説で描かれる地獄の様な苦しみが想起されて笑える事態ではない。
改めてアル中を描いた小説などを読もうと思ったけれど、ストロング・ゼロで脳味噌縛りをされると文章が滑って頭に入ってこないのでアル中漫画を読もうと思い立った。
ブログ『オリモノわんだーらんど』で注目を集めた漫画家まんしゅうきつこは、その陰で酒浸りの日々を送り、気づけばアル中に……。可笑しくも切ないアル中の日常を漫画化!
以前から『湯遊ワンダーランド』が好きで何度も再読していたのだけど、そのエピソード・ゼロとも言える本作を考えると「治る」のが約束されている安心感がある。歴史小説の結末を最初から知っている様な物だ。
酒の上での失態を積み重ね
酒を飲んでから文章を書いたり、家事をしたりすると記憶がないのに上手くいってるという経験から「お酒を飲めば今を乗り越えられる」という導入部から始まって、トークライブで大失態をしたり、幻聴に悩まされたりという描写が続く。自分には記憶がないのに周りからなじられたり、映像が残っているという現実はしんどい。
どのぐらいでそうなるのかを読み進めると1日でウィスキー1本とか日本酒5合だという。僕自身は記憶を無くしたりした経験がないのだけど、現実問題としてストロング・ゼロのロング缶なら2本、ビールのロング缶なら3本ぐらいで猛烈な眠気に襲われるので問題行動を起こしたり、中毒の許容範囲を超える前に無力化されてきた側面がある。飲み会の後半には烏龍茶を飲んでるし。
アル中の才能がなかった事への安堵と後悔
ちなみに500ml のストロング・ゼロに含まれるアルコール分はテキーラのショットの3.75杯分に相当するらしい。グビグビ飲んだらそりゃ気絶するのが普通だと思うのだけど、そんな中でも「飲み続けられる」という才能があるからこそ、酒の上での失態が起こるし、アル中にも邁進してしまうのだろう。
自分にはアル中の才能すらないことに安堵しながらも、貴重な休日が飲酒と漫画と睡眠で終わってしまった現実は変わらない。誰かと話す訳でもない飲酒は楽しさよりも眠さが勝つからそもそも飲むことに意味があるのかと思いながらも、気がついたら缶を開けている。開けてしまえば You can't stop。ストロング・ゼロが瓶やペットボトルではないのは開けたら最後まで飲み切らせるためだという。
そう考えると『湯遊ワンダーランド』の様にサウナに行くのが正しいのかもしれないし、何かしらの予定を作っていくべきなのかもしれない。その一方で平日の疲れが休日に何もしたくなくなる元凶になっている気もするので、もうちょっと上手くやらないといけないと思ったりもした。