今週のお題「サッカー」
※これから書くことはW杯開催などを楽しみにしている人にとって不快な内容を含みますのでそっとじをお願いします。
ワールドカップのせいか、広告や店頭ディスプレイやSNSなどから漂う空気が青っぽい気がする。どうにも僕にはスポーツを観るという習慣がなくて*1、サッカーのワールドカップも関心の外にあるのだけど、周りが色めき立っているので、なんかやってるんだなという事は間接的に分かる。今週のお題もサッカーだ。
僕は自身と関係しない事には殆んど興味がないので、実際には意識に上がってこないまま見過ごしている事のが多いのだろうけれど、スポーツイベントについては定期的に開催されて、公共圏に割り込んでくるから興味がない自分を再認識する機会が多い。なんでや! マック関係ないやろ。
「自分に関係がないことには興味が薄い」と考えると、プロ野球やオリンピックなどを観るという習慣が私にはないという事にも説明が付きやすいです。身体を動かす事自体は結構好きなのですが、なんらかの競技をするわけではないので、プレイの参考にしようという動機も起こりません。『最強伝説黒沢
』でワールドカップに対して黒沢が独白する「どんなに大がかりでもあれは他人事だ!他人の祭りだ」という感覚はすごくリアルです。ひな祭りも他人の祭りなのです。
スポーツはもういいよー
趣味が個別化する事によって「見たいものしか見ない」が簡単にできすぎてしまうからこそ、『メジャー作品を避けてしまうオタク浮動層として『HUNTERxHUNTER』すら読んだことないのでSTARTER BOOKで勉強した - 太陽がまぶしかったから』みたいな事も意識しているのだけど、正直なところスポーツ観戦だけは素直に出来そうもないと思う自分もいる。
その理由を考えると「温度差を認識させられる機会が多すぎたから」が答えになる。まだ興味がない事について2、3回ぐらい「すげーアツく語ってるなー」ってのを観測したぐらいの段階だと「じゃあちょっとやってみるか」と思う事もあるのだけど、何度も何度も興味がないと認識させられるたびに「うぜー」っていう感覚のが強くなっていく。
他人の祭り
それでなくても、ドラゴンボールを延期させられたり、深夜アニメの録画に失敗させられてきた。食堂や病院でテレビのチャンネルを変えられた事も一度や二度ではないし、話を合わせるのも苦痛だ。ドヤ顔で割り込んで良いと思ってる奴らは大体敵なのだけど、これだけ優遇されて「公共圏での割り込み」が社会的に許される趣味も珍しい。その度に「他人の祭り」に乗れない疎外感を味わって嫌な気分になってきたので、もはや素直に中身を楽しめなくなってしまったのだ。
僕の場合はそれがスポーツイベントだったのだけど、例えばコンビニの店頭がボーカロイド一色になったりすることで同じような事が起こる人もいるだろう。最初の認知のためにテレビなり店頭なりの公共圏を覆うような機会を設けてもらうのも重要ではあるのだけど、もはやトラウマ化している。それ自体を楽しんでいる人がいるのはすごく理解できるのだけど、既に興味がないと表明している分野について何度も何度も認知させられるのは解約できないスパムメールみたいなもんでヘイト値ばかりが溜まっていってしまう。
ぼくがサッカー選手だったとき、監督には人生についても教わりました。「90分間で、きみの人生が表れるような試合をしなさい」と。(略)ーアンリ・ベグランさんー元記事 http://t.co/LxhbErjoF5 [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年6月12日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) June 12, 2014
ほぼ日手帳の「お言葉」すら「この日の雰囲気ならこの言葉が刺さるだろう」みたいものが手帳の発行前に計算されている。それに反発したくなっちゃう自分も青二才だと思うけれど。

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*1:プロレスは「演劇」の範疇