「あの時の自分」は「今の自分」の延長線上
完全な風邪。終電を逃して徘徊した深夜の新宿ゴールデン街が非常に寒かったのが原因と思われる。昼間は暑かったぐらいだし、身体がビックリしたのだろう。名義上のカノジョに名義上の看病をしてもらったら、名義上のカノジョも風邪を引いてしまったらしく、形而上空間において看病し合う。風邪のウイルスはネット回線を通るらしい(眼をぐるぐるさせながら)。全部熱のせいだ。
とち狂ってしまった時に、酒や寂しさや病気のせいにするというのはありがちなシチュエーションではある。でも、それを強調して謝られると「あの時とは別人」なのだから「酔っている私が悪い」と「今の私は悪くない」が並行していて、つまり「今の私は反省する必要がない」と考えているんじゃないかと思えてしまう。確かに一定の範囲では同情できるけれど、それだけだし、二度目があるならそっちが本質だという話になるだろう。『別人問題による「その後の私」への疎外で週次レビューが破綻するから対策する - 太陽がまぶしかったから』でも取り上げた「別人問題」に近い。
「いつでも、どこでも」書けてしまう問題
それでも飲み会時の粗相については、非言語コミュニケーションの段階でまともに取り合われないし、互いに酔ってる事による共犯性や寛容もありえるけれど、ネットを介すほどに非言語コミュニケーションが難しいし、「一方は素面」という状態が多いのが厄介である。なのに「いつでも、どこでも」できることが増えすぎたというのはある。
据え置き型のパソコンや家庭用ゲーム機と違って、スマートフォンやガラケーはいつでもどこでもアクセス可能です。ということは、出張や旅行中にもソーシャルゲームが遊べるということですし、パジャマ姿で布団に寝転がっているときも、泥酔寸前の終電の中でも、”課金アイテム”を購入するか否かの判断を顧客に迫れる、ということでもあります。
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僕自身も酔いながらとか、色々な理由で躁状態や抑うつ状態になりながら書いている事のが多い。そもそも、ある人格になりきって自虐する事で見た目の主語を小さくするという手法が多用されているので、ここにいる「僕」とキャラクターは本当に「別人」である。だけど、「私」が思いつきもしない事は書けないし、それを公開している事自体は本当である。
逆に『特殊性を獲得しようと試みるほど「いつか救われるのだから、現在は辛くてもよい」と「いま/ここ」を疎外することになる - 太陽がまぶしかったから』のようなロジックで、「いま、ここの自分は本当の自分ではないのだから」という「別人問題」もありえる。だけど「ネタと自覚してるから」でやっていい範囲は意外に少ないし、お前の状態など知ったことかとも思う事がある。正しい/正しくないは別軸であるのだけど、少なくとも僕は「あの時の自分」について暗黙的に切断処理をして「なかったこと」にするのに慣れている人とはあんまり真剣に付き合いたくないなーって思ってしまう。それこそ、お前が言うなという話でもあるのだけれど。
言葉は無力
どんなふうに、なにを教えるかよりも、おとなたちが実際に「どう生きているか」が、こどもたちに大きな影響をあたえるんだと思います。「いい背中」は、ほんとうに強いからね。どんなことばより、人のこころをひっぱってくれます。ー糸井重里ー [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年5月6日]
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) May 6, 2014
「ネットの自分だから」と自称毒舌みたいなことばかりしているのは決して「別人」ではない事を意識した方が良いと思うし、逆に自己言及的な言葉で取り繕っても行動の羅列で判断されている。「分人」は確かにあるけれど、それはデコイではなくて、全部が「ほんとうの自分」だということだ。「あの時の自分」は「今の自分」の延長線状にあるし、「今の自分」はすぐに「あの時の自分」になることを意識したい。

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