飲めるカレー屋
仕事帰りにもうやんカレーに寄った。ランチのバイキングでしか食べたことなかったので、夜は初めて。看板に「飲めるカレー屋」とあって俺は考えこんでしまった。確かにカレー屋ではあるんだけど、半分盛りだとかおつまみを充実させて酒も飲めるって感じになっているらしいから、(酒を)飲めるカレー屋なんだと解釈するのが自然なのだろう。でも酒を飲みながらカレーを食べるというのはいまいちピンとこない。
カレーは飲み物であると言いつつも飲むのが辛いカレーばかりなわけで、飲める事を売りにするカレー屋もあり得るのではないかと考えた。スープカレーはその名の如く「飲む」という行為が重要で、喉を通り抜けるスパイスの刺激もおいしさに含まれている。もうやんカレーってもったり系カレーなはずだし具も大きいわけで、飲みやすくはない。でも「飲める」ってのはあくまで可能か否かだけを指し示していて、「飲みやすい」とは言っていない。そういう意味で言えば丸呑み可能であるのだから嘘ではない。利根川は正しいのである。『カレーは飲み物。』って店も実在する。
「もうやん」の神秘
そもそも、「もうやん」とはどういう意味なのだろうか。Google日本語検索で「もうやm」まで入力すると「もうやめようよ」になる。「こんな爛れた関係はもうやめようよ」ということだ。熱々でもったりしたカレーを飲んだら喉がただれる。喉がただれるが「飲めるカレー」であることに間違いはない・・・ちょっとまてよ。俺はとんでもない勘違いをしていたのではないか。「飲めるカレー屋」なのだから、「飲める」のは「カレー屋」という解釈もありえる。つまり、カレー屋の店員に飲ませればふたりの爛れた関係も精算できるってわけ。カレー屋を酔わせてどうするつもり♥
煮込んだ牛ほほ肉は柔らかくて口の中でとろける。ルーは酸味を感じつつも適度な辛さと旨味が混じって美味しい。辛さは21段階選べて10段階以上にすると無茶苦茶辛いらしいけど試した事はない。ラタトゥイユをトッピングして1400円。結構高いんだけど満足感はある。じゃがいもや薬味やルイボスティーはセルフサービス(食べ放題)って書いてあったのに、じゃがいもは二個までって張り紙がしてあって、セルフサービスは正しいけれど、食べ放題は正しくないという事についてもやもやする。
カレー屋で酔わせてどうするつもり
そもそも昼だと1000円でタンドリーチキンまで食べ放題にできるバイキング形式なので、そちらのがお得だけど、絶対に後悔するぐらい食べ過ぎるし、カレー好きっていう女子を連れていった時に「カレーなんて何杯も食べられるわけないでしょ!」ってガチ説教された思い出が走馬灯のように蘇っていった。そういう用途では夜のが良いのだろう。カレー屋で酔わせてどうするつもり♥
自分がなにかにハマっていくときに、なぜハマったかがちゃんとわかると、そのプロセスを、別の機会に「共感を呼ぶ手法」として活かすことができます。ー岩田聡さんー元記事 http://t.co/52rjn8BeKK [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年3月17日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) 2014年3月17日
「飲めるカレー屋」もきっと誰かがハマったのだろう。こういうパターンに弱いだなってのは他の人に効くときもあれば、効かない時もあるのだけど、まったくゼロから思いつくことよりは精度が高い。結局のところであんまり言語化できないからこそハマっていくのだけど、それを仕掛けた側が言語化できていないかは別問題ではある。ただ言語化をしちゃうと自分自身ではハマれなくなってしまって残念に思う時もある。ルーティンだと認識しつつも、そこに没入出来る人がやっぱり強い。飲めるカレー屋で息を飲む。