僕は女性というよりも「オネエ」なのだろう
ネットでも現実世界でも人畜無害を標榜しているからか、男女の問題や揉め事に当て馬的に巻き込まれる事が時々ある。それはそれで何となく落とし所を適当に答えつつムーンウォークで退場してくのだけど、一旦オネエモードで回答を作っているところがあるんじゃないかという気がしてきた。「もうっ! そーゆうのが心のブスよ〜」みたいな。
名前の問題もあるのかもしれないけれど、ネット上では「女性だと思っていた」とか、「女性的感性が強すぎる」みたいな事を言われる事がある。でも女性っていうより「オネエだよなコレ」というのが自己分析。特に男女の揉め事の時ってオネエになっちゃうことで、どちらか一方の意見に惑わされることを回避しつつ、毒舌的な分析ができるところがあるのではないかと。
オネエとしての居場所
で、そういう立ち位置ってよくもわるくもプレイヤーとして参戦してこないという前提だから許されてるわけで、オネエ的な共感や説教を当事者同士でしちゃうと無茶苦茶こじれるし、逆にオネエ的なところで仲良くなった後ってそういう仲にはきっとなれないんだろうなぁとか思う事がある。『キック・アス<スペシャル・プライス版> DVD』でもそんなシーンあった。
実際的には家父長制、ハラスメント、体育会系みたいなところにあるものが気持ち悪いので、自分の中にあるそういう要素を否定しようとしているという論理なわけで、むしろ男性嫌悪なんだよね。だから女性になりたいわけではなくて単純に精神的に去勢されたいという話なのだろうと考えている。
65%のオネエ目線
自分が万全で、万全で挑んで、やることをすべてやっても、勝てなかった。そのときに、「悔いはない」と思えるときもあるし、だからこそ…(略)ークルム伊達公子さんー元記事 http://t.co/39Ih6b2qs0 [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年2月20日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) February 20, 2014
「やることをすべてやる」という状態を作ったことがここ何年もない気がする。やることが増えてしまって、現実的にひとつの事に注力できないというのもあるし、「すべてやったのに失敗した」という状態を回避しているところがあるのだと思う。「65%の自殺」と同じように、65%のオネエ目線がずっとあるから、それで『好き好き大好き超愛してる。』な状態になるのが難しいのかもしれないにゃーって思った。もうっ! そーゆうのが心のブスよ〜

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