一時期に多用していたこの言い回しであるが、もともとは「【漫画】死にたいにゃんのまとめ」の中の「そうにゃんかーでも死にたいにゃんは死にたいにゃんー」という台詞であり、「出家したいにゃん」などにも派生している。
ここでいう「恋」とは「劇的な回心」であり、つまり『愛のむきだし [DVD]』におけるマリア様であり、『車輪の下 (新潮文庫)』におけるエンマである。いくら難しいジレンマがあったとしても、一段上の出会いがある事によって優先順位がリセットされて再配分が行われる瞬間。結局のところで大抵の苦悩は優先順位が明確に決められない事から発生する。
それは別に異性である必要もなくて、「心からやりたい事」であればなんでもそうなのだろう。道を明確に決める事ができないからこそスイッチングコストや個々の維持コストばかり掛かって本質的な資本投下ができなくなる。
「<生活>といううすのろ」と寄り添うのであれば、ある範囲までは悩む事もないだろうし、ハイテンションな自己啓発を自己目的化して適応していくしかないという覚悟が前提となる。これは65%を誰かのために使うという事であり、心臓を捧げるということである。
Country Musume - Koibito wa Kokoro no Ouendan ...
翼を広げて飛んでいけそうなくらいの若さの自分に会って、強がったり照れたりしないで、素直に好きって言えばいいんだよと…(略)ー『恋歌くちずさみ委員会』よりー元記事 http://t.co/lt4RrWN8DD [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年2月13日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) February 13, 2014
先の話は結局のところで「結婚しているというステータス」という話と同じにもなってしまっていて、「この人だから」という話ではない。もちろん幻想強度のためには一定以上の「ときめき」が必要なのだけど。それが自分の中でどのツボによってなるのかは良く分かってない。
先に優先順位変更という効果への期待があって、それじゃあ自分自身のことしか考えていないから、その状態で他人を巻き込むわけにはいかないという倫理観ぐらいはあるし、そんな冷静な状態であるかぎりは劇的な回心にはほど遠いのだろう。そもそもそんな劇的な話なんてあるわけもないのだけどね。そうにゃんかーでも恋したいにゃんは恋したいにゃん♪

- 作者: 横溝正史
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