興味がない事柄にまで無理に意見を言おうとしない
僕が趣味としてのインターネットをするうえで大切だと思っているのは「特に興味がないことについてまでポジションを決めたり、意見を表明する必要はない」ということだ。毎日毎日、いろいろな話題が提供されるわけだけど、自分自身の人生には何も関係しないようなことにイチイチ反応をしていても不毛だ。
別に「やめろ」という事が言いたいわけじゃないのだけど、「首を突っ込む方が良い」みたいな話になると疑問符が付く。パーキンソンの凡俗法則というのがあって、「自転車置き場の色」のような分かりやすいところばかりで議論が盛り上がって、本質的な議論は疎外されたままにされる傾向にある事が指摘されている。
別に全員が「本質的なところ」を考える必要なんてないし、それこそ「興味がない事柄に無理に意見を言う必要はない」という事なのだけど。少なくとも僕は「自転車置き場の色」にはあんまり興味がない。他の諸々も。でも女子高生が乗った自転車のサドルについては超興味がある。おなじぐらい「自転車置き場の色」に本当に興味があるなら良いんだけどね。
自分から限定的無能状態を誘発しない
完璧な状態でプレーをしてるってプロ野球選手というのは、ほとんどいないと思います。キャンプインしたころは元気だと思うんですけど、そこから…(略)ー田口壮さんー元記事 http://t.co/kmYquwYdbN [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年2月2日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) 2014年2月2日
最近よく思うのが、「限定的無能」というのは誰にでもあるということ。こういう話は固定的な「バカな人」ではなくて、疲労や意志力消費や飲酒などによって「バカになった瞬間」に起こる。
人間は常に一定の能力を保っているわけではない。『スタンフォードの自分を変える教室 (ブック)』ではいろいろな実験を通して、そういう瞬間をとらえているのだけど、共通して言える教訓は「人間が使える意志力は一定量までしかない」ということだ。それなのに意志力を消費させようとするトラップはここ数十年であまりに増えたと言われている。もちろん省エネしすぎてどうするの?って話は別にあるし、むしろ意志力が消耗させた瞬間にこそ「もう池田さんでいいや」っていうワンチ(ry