自分のことを「おっちゃん」と呼べない
どうでも良い話なんだけど、自分のことを「おっちゃん」と呼ぶのはやっぱりちょっと抵抗があるねと。そういえば、昔付き合ってた人にはなぜか「おいさん」って呼ばれてて、なんでやねん!ってなっていた。
なのに「おじさん」はありな気がする。実際、自分のアイデンティティのひとつとして「こじらせおじさん」という言葉があるし。なんでかって言われても難しいのだけど、『「おじさん」的思考 (角川文庫)』の影響があるのかもしれない。「エイジング」ってのをちゃんとしたいと思っていて、ナイフみたいに尖っては、触るものみな傷つけたり、触れられるたびに傷つけられたりするだけじゃなくて、鈍感になってしまった方が良いのだろうとも思う。
鈍感になっていくことを受け入れる
「あー、無神経な事言ってるな」って事を半分は認識しながら、余計に傷つくこともあるのだけど、カサブタを厚くしていくしかないのだろう。やれやれ、この世界は僕向きじゃないから「僕」を65%殺してかなきゃいけない。
友だちは双子(一卵性双生児)でふたりは違う高校に通っていました。入れ替わって、相手の通う高校に行ったことがあるそうです。ばれなかったんですって!ー『今日のファインプレー』よりー [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年2月1日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) February 1, 2014
散歩にいったら208と209のトレーナーシャツを着た双子の姉妹を持って帰りたい。古いピンボール台を探したい。多分そういう経験があって、おじさんになっていくのだろう。貴様はいつまでもイノセントな若者のふりをし続けるつもりなのか。