ブログステータス「充電中」
昨年の12/25に『http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/25/083018』を書いてブログ運営について一区切りを付けたのですが、なんだかんだいって更新しています。良くも悪くも「閉じたブログ」にしていっているし、純粋な力加減は弱くなっているけれど。
以前まではブログに掛ける労力は生活全体の5%程度と言いつつ関連事象のフォローなどを含めて10%ぐらいになってしまう日もあったのですが、今は3%ぐらいでしょうか。はてなブックマークのトップに載るようなニュースしか把握していない感じですし、ネタの掘り下げや執筆時間も減っています。
無様だからこそ辞めない呪い
客観的に「質が悪くなった」と感じる人がいれば、それはそれで正しいと思います。「あの頃の池田仮名」は仮死状態ですし、今の外部環境で同じことをやっても仕方ないだろうとも思っています。未練があるみたいで見苦しいとか、更新頻度を下げればという声もあったのですが、以下の文章を書いた手前もあって、本人が反故にするほうが格好悪いという認識ですね。
そして、カッコつけなくても大丈夫な場所なんだから、ちゃんと失敗を含めた進捗や結果も書こうよということです。何度か書いていますがブログってweb + logであってログとしての集積が重要です。ライフハックや商品購入などについて書いたなら、それから1年後の私はどう思っているのか、実践できているのかをちゃんとトレースする事にこそ価値があると思うのです。
それは読者への誠実さでもあり、自身の成長機会であり、共感による癒やしでもあります。スナックはてなの常連客として偏愛を長く語り合いたいのです。
私自身としては日記風エッセイを読むのが一番好きだと思うのは、別にそんな事を意識しないでも失敗とか偏愛とか独自法則を前提として受け入れているからなのだと思います。
当時から「隠居」という話を出していて堕ちる事が分かってた一方で、こういう事を公の場所で言い切れば自分自身に呪いが掛けられると考えたわけです。人に認められるかはあんまり関係ないけど自分に負けるのは許せない方かもしれません。『承認欲求と包摂欲求についての一見解。または「あ、承認とかいらないんで、とりあえずお金下さい」 - 太陽がまぶしかったから』についても、「他者の承認」にあまり価値を感じていないからなんだろうね。
それでも毎日書く意味
毎日書く事についても意味はなくて、あくまで自分ルールです。『http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/06/091609』でも書いたのですが、本格的なブロガーごっこをするのにあたって「1日1回は惰性でも更新する」「必要以上に他者を煽らない」というドクトリンを作りました。
現在は183日連続更新ですが、100日も超えるとコンボ成立中になっていて、「今更止められるかよ」ってなってるんですよね。これも自分への呪いですね。セツヤクエストの後半でも感じたのですが、ネタ切れになった時に苦し紛れに考えた事にこそニンゲンが宿るという部分があって、完全に休めば良いものが書けるようになるわけでもないと思っています。
一応は365日連続更新と500記事ストックを当面の目標にしていたのですが、そのぐらいは結局のところでいけそうだとして、それからどうするかを考える感じですかね。余計に「今更止められるかよ」になってるでしょうけれど。
「充電中」という呪い
そんなわけで今年に入ってから42記事を更新しても、まだまだ「充電中」なのですよ。『はてなオフィスでセツヤクエストを巡る冒険をしてきた - 太陽がまぶしかったから』の時もその辺のニュアンスを説明するのがちょっと恥ずかしいところがありました。
「充電中」だから適当に書かなきゃいけないというのも呪いであって、唐突にちゃんとした記事も書こうとも思いつつ、どうなんだろうなぁとも思います。「こっから先」が見えると途端に興味がなくなるのは悪いクセで、そういう意味での「本気」を維持できる人というのは本当に尊敬できます。
無敵の人とゾンビ化プロセス
その一方で、ある意味では「無敵の人」になれた感覚もあります。はてなブックマークとかPVとかは本当にどうでも良いので、そういうごきげん伺いをする気もありません。敢えてヘイト値を溜めていく必要性も感じていませんが、結果としてそれなりにはあるんだろうなーとも感じつつ「思った事を書こう」というのはあります。
そこは不可逆的であって、今から昔のメソッドを総動員したところで大した事にはならないだろうという諦観もあるので「充電中」という枷は取らないままにしておく気がします。シェイクスピアによれば、「今年死ぬ者は、来年は死なずに済む」とのことですが、生き返ればまた死ぬ可能性があるのでゾンビとして65%の自殺を続ける事になるのでしょう。「過充電」になった時には電子書籍でも作ろうかな。