本棚を片付けていくこと
以下のような経緯があって、本棚を抜本的に片付けている。
やはり本棚をなんとかするのが一番大変そうです。実家には実家で大きな本棚が何本かあるのですが、そちらもパンパンです。抜本的に捨てていかないといけないのでしょうね。下手にブックオフに持って行ったり、自炊をすると言ってもその手間が辛い。
原本がそこまでは必要ないけど手元には持っておきたい本についてはKindle Paperwhiteで買って、紙の本は手放すという形になるのでしょう。結構な出費になってしまうし、電子化されていない本もあるので、ある種の諦観をしてバッサリいく必要もあるのだろうとは覚悟しています。
いる本といらない本を仕分けるのは苦痛を伴う。かつての自分は興味の範囲がどんどん広くなっていくし、ちょっとでも引っかかりがあればすぐに関連書籍を山ほど買ってきていた。『立花隆『「知」のソフトウェア』〜情報処理パラノイアのための7つの技法 - 太陽がまぶしかったから』の影響も大きい。
買った時は「読める」と思うが、実際には色々な理由で時間がなくなってほとんど手付かず。仕事内容も変わっていったしし、今から勉強したって活用できる見込みはない。そもそも記述内容が古かったりもする。ビジネス書についても、社長としての云々なんて事を知ったところでどうしようもない。ビジネスポルノはビジネスポルノで楽しいけどね。
量子本棚は「ありえた自分」の残滓
本棚一角の中身を頭の中に入れて何かしらのアウトプットをしてればライフワークを見つけられたのかもしれないし、少しぐらいは足跡を残せたのかもしれない。基本的に厨二病なので、本気を出せばそれなりの結果を出せる自信があったし、その妄想を深められる程度のフィードバックもほんの少しはある。
それでも「生活といううすのろ」を受け入れる度に「何も出来ない人」に確率収束していったのが実情である。本棚を空にしていくと、その時は広がっているように感じた可能性の束を捨てていってしまうような錯覚に陥る。脇役や裏方や観客どころか、その劇に何も寄与できず、終わった芝居の名シーンをまとめサイトで不完全に眺めているだけだったねと。
量子将棋と確率収束
ところで、最近になって流行りはじめた遊びに「量子将棋」というものがある。「量子将棋」とは、駒が動くまでは駒の種類が確定しないというルールを持った将棋である。
駒が量子状態にある。すなわち、最初にあらゆる種類の駒である可能性を持っており、移動するたびにあり得ない駒が除かれ種類が定まっていく。枚数配分は先手後手それぞれ本将棋と同じ。駒を取るとその駒が王である可能性が排除される。王に確定した駒をとれば勝ち。二歩・王手放置は許可。
このゲームに例えると僕は「1歩前に行く」という動きをし続けていたのだと思う。他の駒が確定しない限りは「王将」「金将」「銀将」「飛車」「香車」「歩兵」のいずれかになれる可能性が残っているし、それだけの可能性があれば何者かにはなれるかもしれないという幻想を維持しやすい。
右前に進めたら「王将」「金将」「銀将」だった事が確定する一方で、他の駒の確定状況によって「試みて失敗した」事が明らかになれば、あとは「飛車」「香車」「歩兵」だったという可能性しか残らない。「まだ飛車の可能性はあるよ!」ってのは言えるが、「飛車」は無理だってことは直感的にわかってる。
何者かになる可能性を残しておくためにこそ何もしない
それが怖くて右前に進もうって試みすらできないまま来てしまったのが、自分なのだろう。『全能感を維持するために「なにもしない」人達 - シロクマの屑籠』という指摘は全くその通りだと思います。
「何もしない」「何も本気でやらない」人ほど、全能感は温存される、という話です。
本気で勉強しない、本気で恋愛しない、何にも真面目に打ち込まない……こういう処世術は今日日珍しくありませんが、現実世界で本当に全能・有能になるには向いていません。しかし気分として全能感を保持するには向いています。
なぜなら、全能感は「挑戦して、自分がオールマイティではないという事実に直面する」「それほどには価値のあるボクではないという事実を突きつけられる」まではいつまでも維持されやすいからです。
量子本棚の確率収束
もしかしたら29歳で結婚して、そろそろ子供が出来て、仕事自体は嫌だと思いながらも、でも家族のために頑張らないとと思ってビジネス書や自己啓発書や育児書ばかりの本棚になっていたのかもしれないけど、その駒にはなれませんでした。
あと残ってる駒ってなんなんだろうって思いつつも、「歩兵」でいいじゃんって気分もある。僕が「歩兵」である可能性も残し続けるかぎりは、他の駒の確率収束を殆ど邪魔しない。だから俺はまだ本気を出してないだけで「飛車」だったかもという自意識を保ちながらも「歩兵」としての幸福追求ばかり考えてしまう。
サブカルの人たちっていうのは結局、「◯◯になりたい」というのが明確じゃないまま表現意欲だけが全面に出て、色々と球を投げていたらたまたま当たったという人なんじゃないかとも考えられます。
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俺は本気を出してないから適当に投げてくけど、だからこそ思いもよらない位置に進める場合もあるかもしれないし、いつのまにか「金に成る」事ができれば「何者であったか」はトリヴィアルである。本気を出してないのだから失敗しても傷つきませんし、コストが掛からないから何度でもできる。そういう考え方はどうなのかってのがありますが、人生ゲームの開拓者ルートはそんなものなのでしょう。

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