太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

相互レビュー社会を生き抜く倫理経済学〜岡田斗司夫『「いいひと」戦略』

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略

経済合理性としての「いいひと」

 「情けは人の為ならず」に言いますが、これは人に情けをかけておくと巡り巡って、自分に返ってくるという意味です。あくまで「倫理」の提示であり、そこまで実効性が高いものではありませんでした。しかしながら、本書で言うところの「超情報化社会」においては、その期待値がかなり高いものとなったという流れがあります。

 既に大企業においてはCSR活動*1が盛んですが、それは普通に広告をメディアに流すよりも、より根幹的なPRになるという側面も否めません。ヤマト運輸では震災以降、『助成先の復興再生事業について、2015年2月のご報告です。|東日本大震災復興支援に向けた寄付について|ヤマトホールディングス株式会社』の通り、宅急便1個につき10円の寄付を行ってきましたが、この取組は様々なところで取り上げられましたし、利用者としても殆ど変わらない取引条件ならヤマトにしとこうと思いやすい心情にもなりました。

フラットにソートされる社会

 このような事について個人であってもソーシャルメディアやマッチングサイトの発達によって重要視されるようになりました。例えば仕事において「うちの部署で最も◯◯が出来る人」は、例え性格が悪かろうが重宝されてきた部分がありました。しかし、インターネット上でフラットに並べて評価されるようになると、あくまで「中の上」の位置にいるに過ぎない場合が多く、神通力が失われてしまいます。

 また合コン参加者の中では「最も給料が高い」というのは嘘でなくても、婚活サイトなどにおいて「年収」でソートされてしまうと最頻値をちょっと超えたぐらいの位置にいるのが一般的であり、「それだけ」ではまったく足りなくなってしまいました。上位5%に突き抜けるだけの能力があればまた別なのかもしれませんが、その他95%の人には無理な話なので、別の指標が必要となります。そのために効率が良い方法が「いいひと」戦略というわけです。

 それは何も「都合のいいひと」ということではなくて、ちょっとした親切や気遣いができるとか、そういうレベルです。偽善であっても問題ありません。仕事を頼むたびに誰かと禍根を残すとか、恋人が出来ても、しばらくすれば愚痴ばかり言う人に積極的に近づきたいとか友達を紹介したいとは思えないでしょう。

相互レビュー社会

 店舗であれば値段や物理的な近さ*2だけでなく、接客などを含めた他者評価の方が有効なソート指標になります。ここで「味さえよければ」「安ければ」という店は結局のところで低評価にされがちです。それでいて「接客の良さ」には大きな設備投資や原価上昇や根を詰めた技術修練が必要なわけでなく効率が良いのです。

 その一方で、「こいつは、いつも的外れな毒舌レビューをしているな」って人も認識されて透明スルーされたり、レビューされた側が反撃をして、逆に叩かれるようになってしまうこともありえます。攻撃的な言動の多い人が「そういう人」として可視化されやすくなったという意味ではレビューする側もレビューされる「相互レビュー」が行われている社会になったということです。ここでも、「いいひと」戦略が有効になります。

「いいひと」の反対「イヤなひと」

 逆に「イヤなひと」は経済合理性の観点から難しくなってきました。たとえ上位5%にいようがイヤミだと思えば全力で叩かれるようになりましたし、100%誤解なく正しいことを言い続けるのは無理です。何を言っても数百人単位で石を投げられるようになると、どれだけ精神力があろうが参ってしまうところがあります。

 これは何も意識的に毒舌キャラを演じてるといったことでなくて、統計値などから間違いを指摘するだとか、本人からしたら「優しさ」だと思うような事をしていてもです。堀江貴文さんも『https://cakes.mu/posts/3102』の通り、本来的には徹底的な合理主義者であり、事実だけを端的に述べていけば理解してもらえるという態度をとっていましたが、それだけでは拙かったと述懐しています。

 ひとつだけ変わったところを挙げるなら、コミュニケーションに対する考え方だろう。
 かつての僕は、世の中にはびこる不合理なものを嫌う、徹底した合理主義者だった。そして物事をマクロ的に考え、「システム」を変えれば国が変わると思ってきた。起業も、株式分割も、さまざまな企業買収も、あるいは衆院選出馬も、すべてはこの国の「システム」を変えたかったからだ。
 きっとそのせいだろう、僕はひたすら「ファクト(事実)」だけにこだわってきた。
 言葉で説明するよりも、目に見える結果を残すこと。余計な御託は抜きにして、数値化可能な事実を指し示すこと。あいまいな感情の言葉より、端的な論理の言葉で語ること。それこそが、あるべきコミュニケーションの形だと信じ切っていた。
 しかし、理詰めの言葉だけでは納得してもらえないし、あらぬ誤解を生んでしまう。ときには誰かを傷つけることだってある。僕の考えを理解してもらうためには、まず「堀江貴文という人間」を理解し、受け入れてもらわなければならない。言葉を尽くして丁寧に説明しなければならない。
 逮捕される以前の僕は、そのあたりの認識が完全に抜け落ちていた。


第0章 それでも僕は働きたい|ゼローーなにもない自分に小さなイチを足していく|堀江貴文|cakes(ケイクス)第0章 それでも僕は働きたい|ゼローーなにもない自分に小さなイチを足していく|堀江貴文|cakes(ケイクス)

 勝間和代さんについても合理性の塊のようなキャラクターを作ってきましたが、その後は「人間宣言」をして『http://www.ikedakana.com/entry/2013/09/13/073707』みたいにソーシャルゲームにハマったことを書いたり、バラエティ番組にも積極的に出てギャップ萌えを狙う立ち位置に変わってきました。『「クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ」をこれから始める人のためのガイド- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!』を自身のブログに書いていますし。

それは本当の「いいひと」ではない

 私自身は両人とも昔のキャラクターのままで大好きだったのですが、世間からすると受け入れられないところもあったのでしょう。実際にいくつかの事実誤認や社会通念上では非常識な事を言ったり、不正や事故を起こした事で叩かれて一時的に失脚してしまうことになりました。両人はあくまでマスメディアも取り上げる有名人ですが、これに近い話が「Twitterの有名人」「はてなの有名人」レベルであっても起こりがちです。複数人に対して「叩きたい」という欲求を高めてしまった時点で負けという話はどうしてもあります。

 「いいひと」でいる間は「叩きたいと思わせにくい」「叩いている側の違和感が強くなる」という二重の防衛力を持つこととなります。そして「この人なら少々高くても頼んでみよう」「良い情報を教えてあげよう」みたいな攻撃力にも繋がります。そこまで合理的に考えているのかといえば微妙なのでしょうが、「いいひと」戦略はあくまで倫理経済学で勝ちやすくするための「戦略」なのです。

3C

 本書では「いいひと」戦略をビジネスに繋げるフレームワークとして「3C」が提唱されています。「3C」とは「コンテンツ」「コミュニティ」「キャラクター」の頭文字を取ったもので、それぞれが影響しあって「いいひと」を支えます。

 なんらかの技能や成果物といったコンテンツを磨きつつ、それを活用できるコミュニティを得ることでビジネスに繋がっていきますが、コンテンツにもコミュニティにもキャラクターが必要です。いくら独りでコンテンツの質を磨いても、それだけではフリー化や代替手段に埋もれてしまいますし、キャラクターだけが良くても路上の物乞いにしかなれません。コミュニティだけがあっても単なる役立たずです。

 それぞれを良くしていくことで、気持よく対価を支払ってくれる人に対して、そこそこ役に立って、また頼まれるといった循環が生まれます。本書でも取り上げられている『月3万円ビジネス』では「いいひとしか相手にしない」という事が述べられており、その理由としてもまさに「3C」に近いことが書かれていました。提供者側からしても「いいひと」を選別するように動きたいという相互レビュー社会ですね。

いいひと文化圏とオフバランス取引

 これは、ひとつ別の文化圏を別に作ろうという宣言に近いものであると感じていました。「いいひと」達で仕事を回し合うけど、「イヤなひと」はお金で解決してくださいという。それは正直なことを言えば『新しき村 - Wikipedia』や『ヤマギシズム生活実顕地』なんかを連想してしまうところもあります。

 そして、「対価」についてお金を介さないで回し合うことで「金銭の支払いが発生しない」というのは消費税が増税されるなかでは大きな話になっていきます。ついに消費税8%が確定しましたが、これはコンテンツの質に対する適正対価が自動的に92.5%に割引されてしまうという事です。「お金で解決する」という範囲を減らしたくなるのも必然でしょう。

「利用してやろう」ではなく「助けたい」と思われたい

 そんななかで「金さえ払えばよいんだろ」「いいコンテンツさえ出せばよいんだろ」という態度では、よほど突き抜けないと徐々にオワコン化していく可能性があります。「イヤなひと」は利用してやろうという意識がどうしても芽生えてしまいますが、「いいひと」は助けたいと思うものです。

 本書では「愛は負けても、親切は勝つ」とカート・ヴォネガットの『ジェイルバード (ハヤカワ文庫 SF (630))』を紹介して書きます。例え偽善であっても返報性の原理は感じますし、他者の「ほんとう気持ち」なんてものを汲み取る義務も権利も能力もありません。なので「いいひと」戦略は、今後とも有効になっていくのだろうと思いました。そして、本書には「いいひと」戦略のための具体的なテクニックや質疑応答などが書かれています。

 真実を言えば「都合のいいひと」と言われるのも残念なので「戦略」だとでっち上げているだけなのかもしれませんし、本当に性格を変えてしまう費用対効果は微妙なのですが、その素質があるのなら、「いいひと」戦略しましょうか。

*1:本来的な意味ではメセナや寄付活動などは含めないのですが。

*2:現在の労働者は通勤定期券を持っている可能性が高いため、沿線内であればフラットに比較できるようになった