太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

人のブログを遡って読んで仮想マシンをインストールする

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

人の昔のブログをさかのぼって読む


 自分自身も人のブログをさかのぼって読むのが好きだ。「人に歴史あり」と言われるが、現時点から過去を語れば、どうしたって思い込みがあったり、現時点の観点から正しくなるように行動の正当化理由を無意識に捏造してしまったりという事が出てくる。

 もちろん実際の出来事があってからブログに書くまでもタイムラグがあるし、そこに嘘を混ぜることもできるが、それにしたって「その時点の認識」の羅列を開示することには変わりない。アップデート前の「その時点で語られていること」にすごく価値を感じる。

今の視点から「その時点」を語らざるをえない寂しさ

 ネットを始めたのはそれなりに早いが、2005年~2009年ぐらいまではガラケーで2chやmixiや携帯サイトを読んだり、会社のPCで調べ物をする時ぐらいしかインターネットが使えない状態になっていた。なのでその頃の論争とかをリアルタイムでは全然把握してないことが多くて、はてな村全盛期のハックルさんや非モテ論壇などについてはかなり後になってから遺跡発掘をして知った所だ。

はてなに入る前、なおやさんのブログを読みまくった。技術のことは
わかんないけど、スゴイ人だと思って頑張って入社しようと思った。


 自分の場合は id:yaneurao さんや id:shi3z さんのサイトを読んでいたし、『電脳空間カウボーイズ』のPodcastをウンロードして移動中に聴いていた。与太話だったり、局所最適しすぎじゃないかとか思いつつも、その話はすごく魅力出会った。

 自分自身としては結果として業務で運用されるようなプログラムを書くような経験はほぼないし、「スーツ」としての振る舞いを求められる事が多かったのだけど、だからこそ未だにギークワナビーな所がある。

 そんな感じでnaoyaさんも含めて一種の理想化自己対象として、スターエンジニア達を眺めていた……なんて当時の話をしたとして、どこまで本当の事だったのかなんて自分自身ですら把握できていない。その意味ではアカウントやエントリを消したり、長期の休止をとってしまう事を繰り返してきた自分に残念な気分となる。

 当時の自分は岡田斗司夫や栗本慎一郎にかぶれていて、なかなか危うい言説を書いていましたが、それはそれで現在の自分の観点から織り込んでいても良かった内容だったような気もする。黒歴史はほとんどが本当の意味で黒歴史なのでしょうが、それでも消してしまう事はなかったのかもしれない。

妄想戦士<ドリームソルジャー>

そこで、昨日のブログではないが、先人のヒストリーで動機づけられようというわけである。他者はどのように歩んでいるか、それを参考指標にする。別に戦略的にではなく。インスパイアされれば良いという思いで。まねっこまねりんしたいモデルはないけど、かっこいい在り方ってのはあるよなと。そんなことを思う。

 人のブログを遡って読むと、現在においては既に煮詰まった話をしていて真似できなそうことであっても、初期段階からの試行錯誤を見られることもある。その過程であれば、真似出来そうだし、それが選ばれた理由も腹落ちもしやすい。

青二才が文章を打ちながら、何かしら一席ぶちたくなった時。
彼の上から「青二才の考えた、成功者としてのおっさん」妖精がヒラヒラと下りてきて、
マジンガーZみたいに彼の脳みそとガキーンと一体化するのである。
すると、彼の文章はたちまち威勢よく、偉そうになり、画面から加齢臭が漂う代物になる。

https://anond.hatelabo.jp/20130607011947

 自分の脳にロールモデルが仮想マシンとしてデプロイされて動き始める瞬間だからこそ出来る事もある。実際的な自分は怠惰で、嫉妬深くて、自分勝手なのだけど、それでも格好良い人はこういう場面でこうしていたとマシな方法を思い出す。これはひとつの「前世の記憶がよみがえった光の戦士」のようなもので、その瞬間だけ妄想戦士<ドリームソルジャー>として覚醒する感覚もある。

 ただ、なんというか「10年後に自伝漫画を描くとしたら、このエピソードをどう消化するか?」といったことまで織り込んでいるのではないかという穿った見方をしてしまいたくなる面もある。もっと言えば、彼自身が描くキャラクターの内面化を体現するための良い機会とすら思っているのではないか。

 例えばジョブズだったら、naoyaだったら、shi3zだったらと仮想マシンを転生させて彼らならどうするかの仮説を立ててみる。その時に現在の姿から表面的に真似をしてもイタいだけで、あくまで自分に近い若い頃まで降りてもらって、そこから今の姿になるまでの「過程」からヒントを探ろうとする。一歩間違えば守護霊インタビューですが(w

ステークホルダーの仮想マシンをインストールする

 また『うみねこのなく頃に ~魔女と推理の輪舞曲~』には「チェス盤思考」というのがあって、チェス盤をひっくり返すように、物事をイメージして相手だったら次の一手はどうするかという部分から思考を展開する。ここで、上司だったら、取引先だったら、後輩だったらと仮想マシンを転生させて同時シミュレートすることで最大多数の最大幸福を得られそうな選択肢を選ぶ事で満足度の高い取引が行えたりもする。

 個人的な反省点として、上司のプライドや後輩の成長やモチベーションを蔑ろにしてきてしまったというのがあって、その辺についても相手の立場にたって考える事が増えた。これはmixiでも発見しない限り心情を探るのは難しいですが、行動観察をして手帳などに勝手にログを書いていくことで対応出来そうだ。もちろんそこには妄想も入ってしまうだろうが、まるで気にしないでデリカシーのないことをし続けるよりは幾分かはマシになる。

人生全体のライフデザイン

そこで、昨日のブログではないが、先人のヒストリーで動機づけられようというわけである。他者はどのように歩んでいるか、それを参考指標にする。別に戦略的にではなく。インスパイアされれば良いという思いで。まねっこまねりんしたいモデルはないけど、かっこいい在り方ってのはあるよなと。そんなことを思う。


キャリアという言葉は20代ほどにはこだわらなくなった。仕事上の歩みという意味に限定された意味あいにおいては特に。人生、ライフ全般におけるキャリアということに重きを感じ始めた。生き様、という言葉が響くようになる。在り方とか、生命としての強度といいますか。出自が文学部なんでしょうがないですな。


 確かに仕事そのものよりも、人生について考えることが増えた。最近は『米田智彦『僕らの時代のライフデザイン』〜きっと何者にもなれない僕らのための生存戦略 - 太陽がまぶしかったから』についてずっと考えていて、これ自体が「経済が縮小する宿命論のなかでのサヴァイヴにすぎない」という批判は成り立つのだけど、それが宿命なのかそうでないかに関わらず、僕個人としては投票に行く以上の政治参加はしないし、個人としてサヴァイヴするための手段を探るのがもっとも費用対効果が高い。

 だからというのは言い過ぎなのかもしれないが、仕事人間以外の仮想マシンが必要なのかもって思う事が増えている。そうなった時に色々な人達が生きている姿を記録し続けるようになった現在のブログを読み進めていくが良い。

幸福の指標を入れ替える

 「格好良い」というのは視野を広く持つとまた変わってくる。誰もが資本主義における英雄的行動ができるわけではありませんし、それを求められているわけでもありません。脱社畜してみたり、ドラッガーの本を書いたり、寿司をぶつけたり、いろいろえっちしたり、短歌を詠んだり、バックパッカーをしたり、コンビニ店長をしたり、そんじゃーねしたり。そんな有名ブロガーだけでなく、もっと普通の人々が普通に日記を書いて、それぞれの「うちら」を開示している。

 それを、そのまま真似をするという話ではなくて、瞬間瞬間の選択肢としてインスパイアできれば充分なのではないか。トルストイは「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と書いている。しかし実際には程度の問題であって、誰もがソコソコの幸福とソコソコの生きづらさを抱えており、指標を変えれば幸福状態への「なりきり」が可能な場合もある。この時に頭の中に色々な人を仮想的に住ませておけば立場を入れ替えての幸福維持が可能となる。

 それは阿片にすぎないのかもしれないが、あまりに激痛であれば、回復行動もままならない。ペインクリニックもひとつの医療です。その時に発生する非一貫性については責めてやるなよと思うところもあるが、その豹変こそが、70を100に出来た要因になるのかもしれないし。ともかく今は色々な人のブログを読むのが結構楽しい。このブログも誰かの仮想マシンのひとつになれたらと画策したいが、それこそが現代におけるミームの伝搬であり、デジタルな子孫繁栄なのかもしれない。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>