「何者かになりたい」 と思ったことがなかった
「自分」に満足できないのは、なぜ?
〈承認欲求〉〈所属欲求〉〈SNS〉〈学校・会社〉〈恋愛・結婚〉〈地方・東京〉〈親子関係〉〈老い〉
アイデンティティに悩める私たちの人生、その傾向と対策。「何者かになりたい」
多くの人々がこの欲望を抱え、それになれたり、なれなかったりしている。
そして、モラトリアムの長期化に伴い、この問題は高齢化し、社会の様々な面に根を張るようになった。
私たちにつきまとう「何者問題」と、どうすればうまく付き合えるのか。
人と社会を見つめ続ける精神科医が読み解く。
「何者かになりたい」という感情について、実のところあまり抱いたことがなかった。もちろん人並みのロールモデルを思い描いてはいたが、それは健康で、家族や友人がいて、お金に困らず、趣味が楽しめればといった類のものばかり。「健康で文化的な暮らし」は別にシニカルな話でもない。強いて言えばそれ自体が目指すべき「何者」であった。
現代における「何者」は肩書きや達成によるものが多いだろう。本書にもある通り、少なくとも「他人から見て何者かに見える」効果がある。はてな村最大のミームである「単著もないのに」はまさにそうだ。電子書籍でお手軽出版がなされている現代においては「紙の単著」であることが必要かもしれないけれど。
しかし、それだけでは自分自身が「何者かになりたい」という問題を直接的には解決しないという。では、「何者かになりたい」とはどのような問題なのだろう。マズローによる欲求のピラミッドやコフートによる自己心理学などの具体例として何となく知っている話が続きつつも何者問題の解決には至らない。所属欲求からのオンラインサロンやネトウヨが触れられていることに現代の文体を感じた。