太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

本多静六『私の財産告白』〜明治時代のブロガーが明かす貯蓄と投資の極意

私の財産告白

本多静六『私の財産告白』

 金融リテラシーを高めるための名著として名高い本多静六の『私の財産告白 』を読んだ。著者は慶応二年(1866年)に生まれた明治時代の林学博士で、日比谷公園明治神宮の設計・改良に関わる一方で、大学教員による収入を基礎にしながら貯蓄と投資によって莫大な財産を築いたという。

 60歳になると全財産を公共事業に寄付。少しづつ残していた銀行の株券なども敗戦によって紙くずとなり、僅かな恩給、賃貸収入、原稿料、講演料等で質素に暮らす晩年を送っているとあっけからんと告白している。

 ベンチャー起業などをするわけでもなく、貧乏な少年時代を送った一介の給与所得者が一代にして巨万の富を築いて、また質素な生活に戻っていくおとぎ話のような展開でありながら、ひとつひとつの過程は今日でも通用する普遍的な一般論という不思議なバランス感覚が面白い。

通常収入の四分の一を勤倹貯蓄

 やっていることは通常収入の四分の一、臨時収入の全てを勤倹貯蓄し、そのお金で株や土地を買うだけだ。利息収入は通常収入とみなして四分の一を貯蓄に回す。給与があがり、貯金額が増えれば「通常収入」が増えていくため、結果として使える生活費には徐々に余裕がでてくる算段である。

僕自身が貯金額を増やすにあたってもっとも効果高かったのは、生活用口座に振り込まれる額を一定にして、その中で生活するようにすることでした。そうすれば、後のお金は「余裕資金」として勝手に運用されていきますので植物のような心持ちでいられますし、給料の増減も直接的には気になりません。

 この本を知る前から僕自身も近しいことをやっていたのだけど、大きな違いは貯金額を「割合」で決めるのか、使える金額を「固定額」で決めるのかということ。

 ストイックさで言えば固定額方式だけど、割合で考えた方が「いまは苦しいけれど、将来は少しづつよくなる」という希望的観測によって眼の前の贅沢を戒めるインセンティブとなるし、収入をあげるモチベーションが高まりやすいかのかもしれない。著作内でも「仕事を道楽にしろ」とあり、決して節約だけの本ではない。

雪だるまの芯を作って殖やす

 こうして貯めたお金が複利効果を生み出す「雪だるまの芯」となる。変動リスクのある長期投資を前提とするなら生活を脅かさない余裕資金で行っていく必要がある。生活費起因のタイミングで売却すると大きな損をする可能性が高い。「時節を待つ」ためには、それ以外の要因を排除しておくべきなのだ。

 本多静六は株取引において「二割利食い、十割益半分手放し」という方法を続けたという。「二割利食い」とは先物の引取期限が来る前に2割以上の値上りがあったら売ってしまうこと。現在の方法にあわせると、デイトレード手数料割引(日計り取引片道手数料無料)が適用できるうちに値上がったら利食いしてしまうことか。片道合計10万円までは無料取引可能なので、購入日のうちに売れるものなら売っておいてポジションを解消できた方が低リスクとなる。

 「十割益半分手放し」は長期保有で2倍以上の株価になったら半分売ってしまうこと。その時点で購入資金の元が確実にとれているため、あとはどんなに値動きしても放置しておけるという塩梅。心理的なリスクを下げながらも確実に資産を積み上げるための合理的な取引手法を明治時代に思いついているのがすごい。

人生即努力・努力即幸福

 そこから林業の知識を活かした土地投資を経て莫大な富を築くのだけど、だからこそ「お金の使い方の問題」にも悩まされる。大学への寄附金が多すぎることをきっかけに「よからぬ事をしているに違いない」と同僚から退職勧告を受けたり、友人が気軽に借金を頼んできたり。財産分与などの問題もある。

 本多静六は「人生即努力・努力即幸福」という人生観をもち、親類や友人に簡単に資産分与したりお金を貸したりすると互いが不幸になるという信念を貫く。下手に財産分与などを受けて「自分でお金を作る努力が出来なくなること」が最大の不幸なのだ。冒頭にあった公共事業への寄付もそのような人生観にもとづいてのことだろう。

 とにかく、親戚知友をたよって、個人的に金を借りにくる人には、ーー病気災難の場合は別ーーたいてい何かの欠点があり、短所があるものであるからそれを自ら矯正しないかぎり、いくら金を貸してもとうてい成功はおぼつかない。したがって、一時はなんとかしても、結局は中途で打ち切ればならなくなる。同じ断るなら、むしろ早いうちが相手の利益というものだ。

 ほんとそれ。  

明治時代の億り人ブロガーの教え

 本多静六のライフワークは一日一頁の原稿執筆であり、生涯で370冊もの著作がある。毎日の原稿書きは印税収入と知見を複利的に生み出していって、その財産をさらに増やすこととなった。現代で言えば会社勤めの金融ブロガーが毎日の知見を書いて電子書籍を発刊しながら「億り人」になるのに近い。

 ポール・ヴァレリーも23歳から死ぬまで公表を前提としない「カイエ(=ノート)」を書き続けて、その量は26,000ページにもなっているというのだけど、お金も知見も毎日の積み重ねが複利効果を産んでくれるのだろう。

 現在の自分は都心に住んでいるし、心身を満たすための食道楽やサウナなどが欠かせなくなっている。収入の四分の一ぐらいは貯蓄していっているが、月15万円で暮らしていた頃のストイックさはないし、雰囲気でやっている株式取引で損をすることも多い。文章にしたってブログぐらいしか書いてないし、知見というには程遠い。もうちょっと気を引き締めて色々なことを積み重ねていきたいと改めて思える著作だった。