太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

モバイルこたつとしての着る毛布

お題「こたつ」

 昔に付き合っていた人の家に行くとこたつを囲んでご飯を食べるのが定番だった。ご飯とお酒が進んだらついつい寝転んで眼を閉じてしまうまでがルーチンワーク。夏場であってもこたつがでていて、布団のついたちゃぶ台のような使われかたをしていた。

 寒さと共にそんなことを思い出すと、自分の家の中にもこたつが欲しいと思うこともあるのだけど、現実的には難しい。部屋が狭いし、机やソファとの高さが合わない。その代わりになるのかは分からないけれど、着る毛布を着用して生活している。

モバイルこたつとしての着る毛布

 頭がぼんやりしてくるので暖房はあまり使わない主義。頭寒足熱というが、頭を冷やして足が温かい状態で過ごす方が捗る気がするので、衣類や布団でなんとかすることが多い。

 暖房をあまり使わないのは機能面の話もあるのだけど、「小は大を兼ねる」といった状態になることに一種のフェチズムを感じる。自分と一緒に移動することで、巨大な暖房システムを稼働し続けるのと同等の効果が得られるわけだ。山グッズも大好きなのだけど、山登りそのものよりも道具に対するフェチズムの問題が大きい。

モバイルハウスのつくりかた

 モバイルハウスを「軽車両」として定義し、不動産としての「所有」をあえて主張しないことで手続きやコストを削減する。

 坂口恭平のモバイルハウスにも傾倒していた。住居を軽車両として再定義する。要するに言えばトレーラーハウスをもっと簡素にしたものなのだけど、不動産を動産に変換する瞬間にワクワクする。ソーラーバッテリーとiPhoneがあれば電気料金もかからない。

 なぜ住居に拘るのかといえば、住宅ローンの問題がある。住宅ローンがあると簡単に会社をやめられないし、移動の自由も確保しづらい。それなりに転職をして、働く場所に応じて引っ越しするのが当たり前の生活をしている自分にとっては「自由」の対極にある象徴なのだ。

自由と生き甲斐とトンカツ

 だけど、その「自由」についての疑念もある。35歳を超えてきて結婚も持ち家もないのは自由である反面、生き甲斐も少ない。じぶん独りだけのことであれば、あんまり頑張らなくてもなんとかなってしまうし、成長する機会も偏屈を直す機会も減らしてきてしまったのだと思う。

 着る毛布をかぶり続けられるのは見た目やだらしなさを気にしないから。こたつで談笑していた自分と、着る毛布をかぶってひきこもる自分。どちらがよかったのかなんてのは愚問なのだけど、希望と妄想と現実は一緒にならない。

通常の人間は異性やセックスなしでは生きていけない。
恋人となる対象に依存しなければ精神の安定を保てない
喪男はその孤高の精神をどうやって手に入れたのか?

だっておめぇ
とんかつ食ったこと無い人が
トンカツ無しじゃいきてけねぇよ
なんていわねぇだろう

 きっと人生におけるトンカツが無くても大丈夫だし、欲しがっても無駄なのだけど、トンカツの美味さを中途半端に知っているが故の面倒さを飼いならす必要もあるのだろう。「人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこ」ってのは難しい。トンカツの衣のような毛布に包まれながらキーボードを叩く。