太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

取材対象者の狂気じみた主張をあくまで中立に書き出すことによって多面的な事実が明らかとなる記事が増えた気がする

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読み手のツッコミを前提にしたインターネット記事

 ここのところ気になっているのが、読み手のツッコミを前提に取材対象者の狂気をそのまま書き出すインターネットの記事が増えていること。

 猿払村は東京23区をやや下回る面積に人口2764人(8月1日現在)を抱え、昨年の住民の平均所得は港区、千代田区、渋谷区に続き4位。高級住宅街が立ち並ぶ兵庫県芦屋市を上回る。村の平均所得を押し上げているのはホタテ漁に携わる約250人の漁業組合員で、加工場の時給は最低賃金の786円にとどまっている。

(中略)

 村長は「それほど収入がなくても十分暮らしていけるのだが」と嘆く。加工場の賃金についても、「時給1000円くらいに上げて他地域と差別化できないか」と述べ、企業側の協力も不可欠だと訴える。

 高級住宅街である兵庫県芦屋市よりも高い平均所得を漁業組合員で独占しながら、技能実習生や最低賃金を維持するための人手不足を嘆く記事。ほとんどのひとにとっては(゚Д゚)ハァ?という事案だし、「なんでそんな報道をするのか?」という疑問もでているのだけど、これはこれで正しい報道姿勢なのではないかと思うようになった。

『放送禁止』を彷彿とさせる

 北海道に限らず大問題となっている中国人技能実習生の使い潰しであったり最低賃金を維持したい意向について「美しい理論」などという皮肉の効いた見出しの仕掛けをいれながらも取材対象者の狂気をあくまで中立を装ってそのまま映し出す手法は、『放送禁止』を彷彿とさせる。

 『放送禁止』は、フジテレビで不定期にやっていたフェイクドキュメンタリードラマであり、「事実を積み重ねることが真実に結びつくとは限らない」をテーマにしている。あくまで普通のドキュメンタリー番組のテイで放送しながら、いくつかの不審な点や違和感を伏線につみかさねて取材対象者の異常な行為や精神構造が明らかになっていくのだけど、そこに明確な答え合わせはない。

事前チェックを通らない取材記事は存在しないのと同じ

 読む側が気付くであろうことを前提にして、書き手としてはあくまで中立な報道として取材対象者の狂気じみた主張をそのまま書き出すような報道は前述の例に限らない。

「ある日突然、当社を辞めて独立した元従業員から、未払い残業代を支払うよう、内容証明郵便が送られてきました。びっくりしました。金額は『600万円』です!」(平尾CEO)

 結果としては、裁判所で争うことはなく、一銭も払わずに和解できたものの、この事件を機に、平尾CEOは社員の就業状況を見直すことにしました。

(中略)

 お店の規模が小さくて従業員も少なかった時代は、従業員と一緒に飲みに行くだけでコミュニケーションが取れていたし、訴えられることもなかった。

 要するに言えば未払い残業代の握りつぶし事例が未だに平然と書かれているのだけど、その是非について週刊ダイヤモンドの記者が反論したところで取材対象者からの事前チェックに通らなかったであろうし、訴訟のリスクさえある。そうなれば、この記述自体が消されて「なかったこと」になってしまう。

 書き手としてはあくまで中立的な報道のテイを守ることによって、読み手側が重大な事実を知れるという構図がある。ましてや現代はSNSやソーシャルブックマークなどのネタバレアシストが充実しているから個々人のリテラシー以上のものが期待できる。「映ってしまったもの」を混ぜ込みながら読み手のリテラシーに委ねるリスクが減ったのだ。

 森達也が撮った佐村河内守のドキュメンタリー映画『FAKE』もまさにそんな感じ*1だったし、ドキュメンタリーの基本ではあるのだけど、取材対象者の事前チェックを回避しながらソーシャルによって多面的な事実が明らかとなる記事が増えていく気がする。

*1:FAKEって名前からしてね