太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

村上春樹がKindleで電子書籍を読んでいることに椅子から転げ落ちる

村上さんのところ

村上さんのところ

生きている人間は少しづつ変わっていきますが、過去に公開された文章は永続的に残っていきます。もう本人の手からは離れて古くなった教義に固執していた自分を知ることが本当に良かったのかの判断はつきかねますが、村上春樹がランニング中にiPodを使っていると答える未来に自分がいるのだと思うと感慨深くもあります。

 『村上さんのところ』の問答の中にあった「ランニング中のiPod」に驚いたばかりなのだけど、個人的に強く驚く回答がもうひとつあった。

僕もなんのかんのいろんなものをバッグに入れて持ち歩いています。本とか、iPodとか、水泳用具とか(いつ泳ぎたくなるかわからないので)、本とか、キンドルとか、眼鏡とか、歯ブラシとか(歯間ブラシも)、帽子(レッドソックスのキャップ)とか、予定表とか、そういうものがだんだん増えていきます。

 村上春樹の著作が電子書籍化されず、Kindleストアで配信されていないというのは常識的な話になっていて、早い時期から電子化対応に着手して『すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13: 1984年8月~2013年9月 連載30周年記念・完全版』まで刊行した村上龍とは対極であると感じていた。『村上朝日堂 夢のサーフシティー』や『スメルジャコフ対織田信長家臣団』といった過去の例外はあるにせよ「著者の意向」があるのだろうと。

「読書とコンピュータをからめたくない」と勝手に思い込んでいた

 そもそも村上春樹は『ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)』の執筆の頃からワープロを利用しており、それからMacで執筆するようになった事が知られている。それでも文章や音楽を「体験する」ための再生機器については、コンピュータと絡めたくないのだろうという思いがあったのだけど、バッグに入れて持ち歩くものとして「キンドル」という単語が出てくる事に椅子から転げ落ちるほど驚いた。「本とか」と2回出てくるのはせめてものアピールだろうか。

 今のところは僕はまだ音楽とコンピュータをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように。

 ハルキストとしては「読書とコンピュータをからめたくない」と言いたいけれども、村上春樹はとっくにランニング中の音楽にiPodを聴くようになり、移動中にKindle電子書籍を読むようになっている。「春樹さんは自身の著作を電子書籍化しないんですか?」なんて質問する事すら失礼だと思い込んでいたのだけど、だったら聞いておけばよかったなと少しの後悔をしている。

ハルキストじゃなくて、できたら「村上主義者」と呼んでください

 そこまで多くない根拠から「この人はこうだから」と先回りをしてしまうことがあるが、こちらの思い込みであるにすぎないこともあるし、そもそも人の考え方は変わっていく。他人をあまり固定的なものだと見なさずに、都度のコミュニケーションこそが作品の主題となることもある。

でもハルキストじゃなくて、できたら「村上主義者」と呼んでください。よりハードコアな感じがします。いったい誰がいつから、そんな「ハルキスト」なんてちゃらい呼び方を始めたんでしょうね。僕にはひとことの相談もなかったな。

 こんな所にも「ハルキスト」のままでいるのか、それとも「村上主義者」に転向するのかのせめぎ合いがある。質問を厳選しない『村上さんのところ コンプリート版』がKindle出版されるそうで、人と時代は移り変わっていくものだと改めて感じる。