太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

毎日新聞社『リアル30's "生きづらさ"を理解するために』〜何かを期待して裏切られた世代のダウナーなオフ会

リアル30's

30代のリアル

 本書はいわゆる「失われた20年」に青春期を過ごして、就職時には氷河期だった30代の人々へのインタビュー集である。現在における30代の人々はバブル景気の中で幼少期を過ごし、学歴重視や大手企業信奉の非常に強い時期に青春を過ごしている。それでいて、バブルが崩壊した1991年には親の経済状況が悪化してく様子に気づいたり、空前の就職氷河期を経験させられるなどの「落差」を味わう事にもなった世代でもある。

 企業も国際競争に巻き込まれ、合理化や効率化を余儀なくなれるなかで非正規雇用の割合が増えていき、「ニート」という言葉が出始めたのも、ちょうど私が就職活動をしている頃であった。リーマン・ショック以後や震災以後に就職活動をしている世代の方がよほど大変だったという議論もあるが、単純な就職率だけを見ると今の30代が経験した就職氷河期の方が低い。現代であれば「非正規雇用」は「仕方ない」という感覚を含めつつも選択肢に入ってくるが、新卒当時は「ありえない」という感覚が強かったように思う。

      卒業者 就職者 一時的な仕事 進路未定&不祥 就職率
平成15年度 544894 299987 25255 149279 55.1%
平成16年度 548897 306414 24754 132734 55.8%
平成23年 552794 340546 19107 101528 61.6%
平成24年 559030 357285 19596 96449 63.9%

サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ』 (引用にあたって一部整形・計算)

こんなはずじゃなかった

 現在の30代はそのような「落差」による被害者意識を抱きつつも、特に救済措置が行われないまま、結婚や出産や転職などのリミットが迫まりつつあるのが現状である。それより若い世代になると最初から低い位置にいるのが当たり前という覚悟もあるし、景気回復や法改正などによって、なんらかの構造的逆転が起こる可能性すらありえる。しかし、そうなってしまったら、さらに割を食うのは現在の30代だろうと絶望を抱えてもいる。

 この「生きづらさ」についての感覚や処方箋についてはシロクマ先生( id:p_shirokuma )の『ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く』に詳しい。こちらの書籍にも「生きづらい」がサブタイトルに含まれている。

 1970年代~80年代にかけて生まれた世代は、有史以来、どの時代の子ども達よりも物的に恵まれた“飽食の時代”に生まれ、育てられてきました。高度成長期は終わっていましたが、それはあくまで大人の世界の話。当時の私達(私もこの世代の人間なので、本書では1970年代~80年代前半生まれの世代のことを“私達の世代”と書きます)子どもは、テレビ・ファミコン・ビデオデッキ・エアコン・子ども部屋・漫画雑誌といったものが子ども専用アイテムとして普及していく過渡期を身をもって体感した世代でした。

 “末は博士か大臣か”と親から期待され、厳しい受験戦争を戦った世代でもあります。勉強さえ出来れば立身出世できるという受験システムが、知識階級の子弟ばかりでなく庶民にまで認知され、出自や親の職業とは無関係に誰でも自分の夢に向かって突き進めるようになりました。

 では、未曾有の豊かさに恵まれた子どもだったところの私達は、どのような大人になって、どれぐらい幸福に生きているでしょうか。

 皆さんもご存知の通り、私達の多くは、幸せにも満足にもほど遠い日々を、のたうつように過ごしています。とりわけ経済面において「こんな筈じゃなかった」と思っている同世代人は非常に多いと思います。

生きづらい時代だよねー

 もちろん、単純に「生きづらい」と言っているインタビューが載りつづけているわけでもなく、起業したり、シェアハウスを作ったり、趣味活動での充実などの話もあるし、識者のエッセイ的な論評も寄せられている。Kindle版の『リアル30's “生きづらさ”を理解するために』ではインタビューについてTwitterで寄せられた反響も含まれている。

 互いを論破しようという「真剣30代しゃべり場」なんて事はなくて、淡々と自分達の境遇や考えがあり、そこから自分たちなりの「どうやってサバイブするか?」という生存戦略について語られる。それらのひとつひとつに距離を取りつつも、共感したり、同情したり、反発したり、自分ならどうするかを考えたりする。

 実感とはズレている部分もあるけれどが、「そういう人も居る」という意味では「リアル」なのだろう。増田で書かれるような内容をいくらか客観的にした内容に近いかもしれない。Twitterでマチズモなコメントをしている人も載ってくるし、それぞれの限定合理性の中を生きていかざるをえない感覚。

ダウナーなオフ会に参加した気分

 僕自身もちょうど30代になっているため、登場人物のひとりになっていてもおかしくはない。読み進めていくと、なにかmixiなどで開催された同年代のオフ会で集まった「初対面の人が多いなー」という状態の呑み会の中に居るような感覚になってくる。散発的に話を振られた誰かが独演会モードになって、それを話半分で聞き流しつつポテトを摘んでいるような。「だからどうするのか?」なんてことは誰も求めてなくて、ただ現状はそうだと言い合って「やっぱ、生きづらいよね〜」と言い合うだけの会合。

 それを意識高い系の人々は「無駄な時間」と思ってしまうのかもしれないが、そのような慰め合いをしたくなることもある。当事者として得られる情報量は少ないけれど、互いの事を淡々と語り合えた呑み会で奇妙に癒されたような読後感。一方で異なる世代の方にとっては、我々の世代がどのような原理で動いているのかが分かるので、きっと有用なのだろうと思う。

会社の寿命は5年?

 ところで、今後の10~20年単位で考えた場合において、自身が滅私奉公してきた会社が健全に継続しており、かつ自身との良好な関係が維持できているのかという問題は、経営者の思いや、個人の忠誠などとは別次元になっている。

提携誌のビジネスウィークが毎年実施する時価総額ランキング「グローバル1000」を基に米国企業を分析すると、上位100社の平均滞在期間はもっと短く、平均で5年を切った。情報化の進展などで日本はいずれ米国に追いつくと仮定すると、適者生存の競争は一段と激しくなり、「会社の寿命(盛期)5年」時代も見えてくる。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090212/185916

 「会社の寿命は30年」と言われていたが、それさえ1980年代の話である。僕自身もたかだか10年の間に所属会社が何度か変わっているが、それは能動的な転職だけでなく、経営統合や事業譲渡などの外的要因も含まれている。また総合的にはホワイト企業であっても、モンスターカスタマーを担当して病んでしまう可能性や人間関係に起因する問題も別次元である。

10年泥と債務不履行

 30代の私たちは「頑張れば報われる」として、それこそ「10年は泥のように働け」などと言われてきた。実際問題として現在の産業構造においては自己負担の啓発やサービス残業や雇用調整などの形で有形無形の「借金」を労働者からしていかねば維持できない状態にある。年金制度や社会保障もそう。以下のやりとりは2008年の話なので学生側も反発しているが、それをベタに信じている経営者がこの時点でさえいたという事実の発露にはなっている。

西垣氏は伊藤忠商事の取締役会長 丹羽宇一郎氏の「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」という言葉を引用し、「仕事をするときには時間軸を考えてほしい。プログラマからエンジニア、プロジェクトマネージャになっていく中で、仕事というのは少しずつ見えてくるものだ」と説明。これを受けて、田口氏が学生に「10年は泥のように働けます、という人は」と挙手を求めたところ、手を挙げた学生は1人もいなかった。

 しかしこの「借金」は債務不履行して「搾取」に変容するという「裏切り」に後から勘付かされてもいる。10年働く前に会社がなくなるかもしれないのに、どうやって次の10年で返済されるのか。「ハンロンの剃刀」に従えば「悪意があって言っていたのではなく、ただ無能なだけ」なのだろうけど、その無能を信じてしまった自分自身の馬鹿らしさ。

我々は「何かを期待して裏切られた世代」?

 若年層の人々は最初から「搾取」されるだろうという覚悟を植え込まれているが、我々の世代の多くは、この「裏切り」についてアンビバレンツな感傷を抱いている。本書中でも引用されているが、社会学者の鈴木謙介はインタビューにおいて以下のように答えている。

今の30代は何かを期待して裏切られた世代。たくましく生きる覚悟はあったのに、2000年代に厳しい現実に直面して「やっぱ無理だった、一生懸命やったけど、何にもなんなかったじゃねえか」と怒っている。同時に「自分の努力が足りなかった」という自己責任感も強く引きずっている。逆にその下の20代はハナから「期待するな」と教えられた世代。もっと冷めていて保守的だ。

目の前の仕事にアイロニカルに没入しながら別の選択肢を探る

 今まで頑張ってきたのだからと、埋没費用の満額返済を期待してさらに滅私奉公するのは愚者である。だからといってストライキをしたり、ニートになっても飢え死にする。なので目の前の仕事にアイロニカルに没入しながらも、その一方で別の選択肢についても把握しておきたいというニーズがある。それは「観光客」としてミーハーに参加するぐらいでも良いのだろうと思う。

 その結果としてもう一方の選択肢の方が良いのであれば本格的にそちらを選択するし、現状維持のが良いと判断すれば一旦は寛容に進めることができる。仮に外部要因によって強制終了してもフェイルセーフとして働いてくれる可能性もある。「絶対にこれ」「これは絶対にだめ」と決めてしまう必要性はあまりない。

 そんな事を考えつつも、「じゃあ具体的にはどうするのよ?」ってなるとまた難しい。結局の所では社畜をしながら生活費を削減しつつ、フリーランスでも食える道筋を作っておこうかねーって程度。仮にインタビューを受けても実際的には凡百のサラリーマンの愚痴にしかならず、本書内の彼らに目立たないまま織り込まれてしまう存在だろう。それでも「そういう人も居る」という「リアル」を少しでも残したいからこそ、こんなブログをやっているのだろう。

ダウナーである事の重要性

 少なくとも「罪悪感」からはフリーになりつつある現在に残るのは「もっと良くしたい」という意志力なのだけど、自分だけのことであればファストな幸福で満たされてしまう側面もある。だから「生き甲斐」を他者にアウトソーシングしたいという欲望も出てくるが、それはそれで「正解」ではないと一方では分かっている。いつだって始まりには終わりの可能性が内包されている。

 確かに僕は「何かを期待して裏切られた世代」なのだろう。でも、僕自身も誰かに期待されて裏切ってきたのだろうし、逆に期待されてると勘違いして空回りしてきた。だからもう「しゃーない」わけで、ダメになってしまうのも普通の事として「マシ」を探るしかない。そんなダウナーさが案外重要なのかもしれないとも思う。毎日の様に何かに追い立てられていても、誰かのせいにして怒っていても疲れちゃうしね。