時限爆破!怪談・新沼袋デスマッチ
「ハイコンテクストなリテラシー」を考える時、ビアガーデン化した会場で行われたこのデスマッチ動画をひとつの試金石にしている。僕にとっては5本の指に入るぐらいのベストバウトなのだけど、いろいろな前提がないと薄ら寒いだけだろうというのも分かる。
例えば以下の様な理由で拒絶されていくだろう。
- プロレスという時点でダメ
- プロレスは好きでも嫌いでもないけどネタが理解できない
- プロレスが好きだからこそダメ
- そういうの関係なしにダメ
- おまえの態度が気に食わない
タイトルからしてローカルな地名と『怪談新耳袋』を元にした駄洒落だし、全体のスキームも狂っているのだけど、不必要なまでの小ネタの圧縮陳列が面白くて、「文化系プロレス」の面目躍如ではある。ニコニコ動画で見るとコメントの解説が入るので分かりやすくはなるけれど陶酔気味のコメントに醒めてしまう可能性も高い。
プロレス文脈における「時限爆破」
そもそもプロレスで行われる「時限爆破」は消防法違反や業務上過失致死等に問われない範囲の「安全に痛い」火薬量に抑えていて、これまで死者や(不慮の事故を除いた)重症者が出た事はない。普通の投げ技や飛び技の受け身に失敗する方がよほど危険である。そんな事は大前提としつつも、熱いものは熱いだろうし、爆発は爆発なので大袈裟な駆け引きやリアクションをするところに味わいがある。
要する言えばプロレスにおける「時限爆破」なんてバラエティ番組の熱湯コマーシャルや熱々おでんネタと同じなのだから、「怪談が苦手」というコードさえ共有されれば「一定時間が過ぎたら怪談を話す」でさえ実現できてしまうというところに皮肉が効いてるなどと解説されても困るだろうし、そもそも理解できた上で寒いということも多分にありえる。
客を「分かる/分からない」で選別する
ダウンタウンは客を「分かる/分からない」という形で選別するようになったという意味で革命的だったというような評論を読んだ事がある。それは決して良い意味ではないのだけど事実ではある。難易度は低いはずなのだけど、それでも「分からない人」がいるからこその優越感みたいなものを下駄にしていて、絶対値としての評価を誤魔化すためにも使われていた側面もある。
だから悪いとか良いとか言いたいわけじゃなくて、僕はこの試合が当事者としては本当に好きなんだなーって思うけれど、それを分かれと言っても仕方がないし、半ば醒めている自分もいる。アイロニカルな没入をするときほど過激なフリをしないと恥ずかしくなってしまうというか、解説するのもそうとうアレで、まぁダメだって分かってるけど好きなんだよって事で。
邪道芸ばかりも仕方がないのだけど
オリンピックの候補になるようなすばらしい才能のある子どもの取材もずいぶんしてきました。彼らの壁は、努力じゃどうにもならない。…(略)ー斉藤賢太郎さんー元記事 http://t.co/wfXEhv1ydP [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年2月10日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) 2014年2月10日
努力と才能の話が少し流行っていたね。確かに才能のが重要な分野や水準は沢山あるけれど、それが崩れさるのは一瞬というのもあって、少なくとも維持する努力は必要となる。全員がオリンピックに出る必要もなくて、もっと横並びのところにいる。
怪談・新沼袋デスマッチが成立するのもレスラーとしての正攻法で超一流にはなれなかったからこそという側面もあるし、そっちのが好きな人がいるからという側面もあるし、いつも同じ味だと飽きちゃうという単純な問題もある。
全員が固定化された方向を目指す必要はないとは思いつつも、最初からそっちを目指さなければ現状維持だって覚束ない。邪道芸ばかりで成立するわけじゃないし、エクストリームなメタ言及ばかりをしていても仕方がないと思いつつ。