太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

座敷わらし系男子として「ドタ参加」したり「自分でやったほうが早い病」を克服したり

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photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋)

自分に約束が出来ないから人と約束をしない

 何度か書いてますが、ここ数ヶ月間は体調が優れない日が続いていて、帰宅したら即寝落ちですし、そこからいつまでも寝てたり、お酒を呑んで寝てたり、本を読みながら寝てたり、ぷよクエをしながら寝ています。休日はもっと寝てます。あと、ぷよクエをしてます。ハロー、いま君に素晴らしい世界が見えていますか。

 ドタキャンや大幅な遅刻をされるのが大嫌いなので、自分でそれをするのは許し難いところがあります。仮に参加しても疲労が残ってしまうだろうなーって最初から憂鬱になっている事も多いです。そういう感じなので「約束をしない」ではなく「(能力として)約束ができない」というのが正しいのですが、あんまり断っていたら誘われなくなってしまって「(誘われないから)約束ができない」に変わって寂しいなーと厄介な事を思ったりもしています。

「ドタ参加」という態度

 それで光浦靖子が何かの会に誘われたらとりあえず「仕事の都合で行けないかも」って断っておいて、でも体調とか気分とか仕事の状況とかうまく揃ったら「仕事が早く終わったから参加させて」と連絡するみたいな「ドタ参加」という概念を提唱していて、良いかも(^^)って思いました。

 これだったらドタキャンにならないし、行く時間も自由です。もちろんデートやサシ飲みなんて事は出来ませんし、するアテもなくなってしまいました。でも互いの人生の主要登場人物になろうってのは、今の自分にはちょっと重いのです。だけど刺身のツマとして、いなくても気にならないけど、いたらいたで問題ない位のスタンスで時々は登場したい。「ドタ参加」ぐらいの立ち位置だと必然的にそういう扱いになります。オフ会実況をしてたら「参加していい?」って送ってみたり。

他人の人生の脇役感

 id:inujin さんが『脇役は、突然やってくる。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』と書いていて、自分も他人の人生の「脇役」になることが増えたし、それを望んでいるなーと思いました。「俺の話はどうでも良いからお前が話せ」ってなるのもそうです*1。自分が求める配役は主要人物ではなく、もっとモブキャラに近い脇役です。

遠藤周作氏の随筆の中で、氏が自分の奥さんを見ていて、フト天啓のように
「そうか、オレはお前の人生の中では脇役なんだよナ!」
と気づく瞬間があって、僕はこのくだりが大好きである。


(中略)


僕にとってはかけがえのない僕の身体も、他者からすれば電車で居眠りをしている疲れたオヤジという典型的なサラリーマンである。
しかし、そのことを認めるのはなかなか難しかったりする。


まあ幸いなことに、年を取ると、自分が他人の人生にとっては「脇役」だと気づかされる機会が増えるので、そのへんは安心かもしれない。


座敷わらし系男子

 昔は人畜無害感があったり、存在感を消すのがうまかったのか、いつのまにか人の家に泊まってるなんてことがよくありました。「一緒にお風呂に入っても大丈夫そうだよね(w」とか言われて本当に何も・・・ここから先の妄想を読むにはワッフル・ワッフル。

 なるべく邪魔にならないようにソファなどに小さくなって寝て、もともと早起きなので相手が寝ているうちに前日に散らかした分の片付けや掃除しておいたり、コーヒーを淹れておくみたいな事をしていて、我ながら「座敷わらしみたいだ」なんて思ってました。『きまぐれオレンジ★ロード 1 (集英社文庫 ま 7-1)』で鮎川が風邪をひいてお見舞いに行った時みたいな展開を逆に望んでいた所があります。青春ラブコメごっこのが価値が高いと思う時期もあるのです。

 で、飲み会になると配膳したり、注文したりする役をするのが好きですし、話の促し役をする事が多くて、それも座敷わらし系男子なのかもなと。会の開催には影響しないぐらい居てもいなくても良いけど、でも居るとちょっとスムーズになるという程度の寄与をしたい欲求があります。

自分でやったほうが早い病の克服

 そう考えるとリーダーなのに常駐している外注さん達の弁当を手配したり、作業PCをセットアップしたり、諸々の手続きを代行して作業に集中してもらっていた時期があるのも同じ欲求かもしれません。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の逆で、あえて野球部のマネージャーのような役をやっていたという事です。いわゆるPMO業務ですね。

 『「自分でやったほうが早い病」への15の処方箋 | ライフハッカー[日本版]』なんかで言われる「自分でやったほうが早い病」というのは殆どの人が通る道でしょう。個々で見たら実際にそうだったところもあるとは思います。しかし仕事というのは、その時のタスクだけでは終わらず、試験やアフターフォローが発生するのが殆どです。

 自分で手を下しておいて、アフターフォローを任せると士気や責任感に関わってきますし、手離れができなかったり、ミスを誘発したり、人が育たないみたいな弊害があって全体から見るとマイナスになってしまっていることが多々あります。なので、管理者が出来ることは交渉・工程管理・品質管理・環境作りであると割りきってしまった方がプロジェクトにとっては良いと考えています。

 やらなきゃいけないけど後に影響しにくいタスクを積極的に担うのは「手を動かしたい欲」を健全に解消するひとつの方法にもなると考えています。それに事務作業とかを巧くできるようになる方が収穫逓減の法則が効いてなくて愉しいことも多いのですね。家事も同じです。もっとも、最近はプレイングマネージャーを求めていたり、その一方で「伝家の宝刀」が錆びてるという危機感があって色々とこうアレなのですが。

オバチャン化を目指してるのか?

 それもまた、id:inujin さんの言う『僕は、オバチャンになりたい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。』の一形態なのかもしれません。誰かの人生に気まぐれで「ドタ参加」して、あまり気にならないうちに、ちょこっと良くなってる。そして、いつの間にかいなくなってる。それって私的成功と公的成功のバランスが取れた贅沢な役目なのかもしれません。

 自分は個々人への興味は薄いです。id:shiraber さんが『関心のストレッチはむずかしいね - Looking for a Sense of Authenticity』で「行動変容につながるかどうか、が学びということらしい」と書いているのですが、自分は誰かに対して直接的な行動変容を促したいと考えていない立場なのだろうと思います。その一方でアーキテクチャを整えたり、(バイアスの掛かった)客観的な話を提示して統計的にそう動く人が増えるように仕組むのは好きだったりもします。

 『ネット民の過半数が陥る”俯瞰中毒”の症状とは? - トゥギャッチ』の話だよ。どうして人は「どうして人はカテゴライズしたがるのかしら」とカテゴライズしたがるのかしら。確かにマーケティング支援でクラスタ分析とかすると、ほんとに分かりやすい特徴が出てしまうのも事実ではあります。でも「お前はこのクラスタだから、こうなんだ」っていう類の内面ゲスパーを口外するのは色々と最低だからね。

 人間関係を気に掛けるオバチャンや人に学習をしてもらう先生ってのは、それはそれで主要登場人物としての配役なので自分には荷が重いのかもしれません。その意味では店の陳列を変えておいたりして、物語の進行には間接的に関わってくるけど、あくまでモブキャラとして見切れてるぐらいのステルス度合いが良いのかなと。もっとも、それこそが「自分の位置を知られずに相手の位置を知ることで優越感を得る」ということでもあって、サブカルクソ野郎の自意識は厄介でゲスな。

*1:ブログに書いてしまっているので「言いたい欲」があんまり無いってのもあります