太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

1泊1400円のドヤでノマド生活するノマドヤ・ワーキング・マニュアル

東京ドヤ街盛衰記 日本の象徴・山谷で生きる (中公新書ラクレ)

ノマドヤ暮らしのススメ

 大阪にいたころにドヤ暮らしをしていたことがある。ドヤとは3畳一間の和室からなる簡易宿所であり、非日常空間における最低限のサービスと最底辺の料金が魅力のリゾート施設。抜けたくても抜けられないぐらいの長期滞在が可能であるし、日雇い労働を斡旋してくれたり、謎の屋台や泥棒市など、独自のエコシステムも形成されている。

「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さことばである。旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいることからきている。


戦後の高度成長期、日雇いの仕事を斡旋する寄せ場に日雇い労働者が多く集まり、彼らが寝泊りする簡易宿所寄せ場の周辺に多く開設されることでドヤ街が形成された。いわゆるスラムとは異なり、その地域全体が日雇い労働者のドヤで占めているわけではなく中産階級の住宅も存在しているのが大きな特徴である。とはいえ、スラム同様に日雇い労働者に対する貧困克服政策が求められている。

 『「低価格ジョブ」は、民主的な市場に不可欠』では極端に低下した単価で仕事を請けざるをえないフリーランスがフィリピンなどの物価が安い国に移住する未来について語られている。最近では『セカ就』なんて言葉もあるようだけど、その前段階としてニッポンの誇るドヤ街への移住について検討してみたら如何だろうか。

フィリピンに行く前に「まずはノマドヤ」という選択肢

 ドヤ街の公用語は日本語ですし、治安や設備も海外のスラムよりは安全です。大きな決心をしなくても、泊まってみることができ、耐えられなければ青春18キップで逃げ帰る事もできます。リーン・スタートアップでアジャイルですね。

 近年のドヤは外国人バックパッカーが宿泊する用途に使われる機会も増えました。休憩室は国際色豊かなドミトリーの様な雰囲気になりますし、Wi-Fi環境や充電器も用意してくれています。他の住人達とも「日本語が通じているはずなのに話が通じない」という異文化コミュニケーションの機会があるなど、「気付き」「成長」を求める我々のような意識の高いノマドワーカーにとっても魅力的な施設になっています。

 ノマドワーカーは「いつでも、どこでも仕事ができる」のだから、ドヤで仕事をすることだってできます。「ノマド ✕ ドヤ街暮らし」、略して「ノマドヤ」です。今回は平日にスーツで会議や現場作業をこなしつつ、夜や休日にドヤでの持ち帰り作業を行うような意識高い系ノマドヤ・ワーカーとして「暮らし」「働く」ためのマニュアルを作成いたしましたのでご査収頂ければと存じます。

ノマドヤ・ワーキング・マニュアル Ver 1.0

 ノマドヤ・ワーキング・マニュアルは「移住編」「衣食住編」「ノマドヤ・ワーキング編」の3部作に分かれています。本マニュアルを参考に快適なノマドヤ・ワーキング・ライフを送って頂ければ幸いです。なお本マニュアルの実践に伴い被ったいかなる損害についても、責任は取れませんので悪しからず。

移住編

 移住を行うにあたって、既にある自分の部屋をどうするかという問題がありますが、すぐに引き払う必要はありません。1ヶ月ぐらい暮らしてみて、移住しても大丈夫だという確信を得てから引き払いましょう。オルタナティブな生き方を試す時には「戻れる自由」も重要になってきます。

移住するドヤ街を決める

 まずは、どのドヤ街に住むか決めることが重要になります。大阪の西成(あいりん地区)が最大のドヤ街となっていますが、東京の山谷も由緒正しきドヤ街です。近年では蒲田もネットカフェ難民の聖地として「新ドヤ街」といわれています。

 ネットカフェに寝泊りすることもできますが、それでは異文化コミュニケーションができませんし、布団で眠れません。やはり古きよきドヤ街の方が良いと思います。実質的には会議や現場作業などで呼び出される可能性のある場所の近くを選ぶしかないと思いますが、山谷の宿泊料は少々割高なので注意。

今夜眠るためのドヤを予約する

 ドヤは1泊だけすることも、長期滞在をすることも可能です。とはいえ、いきなり長期滞在を選択しても失敗した時に高額なキャンセル料を支払うことになりますので、まずは一晩泊まってみて、そこから長期滞在をするか決めた方がベターです。ここでもリーン・スタートアップでアジャイルです。走りながら考えましょう。

 泊まるためのドヤの探し方なのですが、実は『じゃらん』などの旅行サイトに登録されていることも多いのです。大阪難波辺りを地域指定して「料金2000円以下」で探すとヒットしてきます。というか「西成」でキーワード検索すればだいたい見つかります。キャンペーンで0円のホテルとかはほんと邪魔ですが。相場は1泊1500円前後です。旅行サイト経由で当日予約すると100円引きになる事もあるので要チェックです。店主の粋な計らいに感謝!

長期滞在を申し出る

 1泊の場合は翌朝には部屋を空にしてチェックアウトしなければいけないですが、しばらく滞在したい旨を店主に伝えると空きがある限りはOKしてくれます。基本的にまとまった期間分の料金を前払いすることになるのですが、そうすると割引制度があったり、日中も部屋に荷物を置きっぱなしにできる権利が得られます。その辺は普通のビジネスホテルと同じですね。

衣食住編

 こうして晴れてドヤの住人となれましたが、衣食住を充実させていく必要があります。泊まったドヤの設備や住人の雰囲気によって臨機応変に対応する必要があるとは思いますが、あくまで僕がドヤ暮らしをしていた時のTIPSを中心に書いていきます。

ドヤ暮らしの衣食住(衣)

 防犯的な観点から財布やノートパソコンなどの貴重品はリュックを使うなどして常に身につけておき、持ち歩けないものはコインロッカーやトランクルームなどに移しておいた方が安全です。当座の衣服など盗まれても問題が少ないものだけを部屋には置いておきましょう。

 スーツがデフォルト服になっていればYシャツと下着さえコインランドリーで洗濯していれば問題ないので簡単です。みんなもスーツは1年に1回ぐらいしかクリーニングしないよな? 風呂場で洗濯するのはガチで怒られるのでタブーです。ドヤの自室の中ではシャツ&パンツですごし、外に出る時はYシャツとスーツのズボンを履いてました。部屋着は甘え。リストラされたのにスーツを着ている元サラリーマンを演じていれば盗難の標的から逃れられやすくなって捗ります。

ドヤ暮らしの衣食住(食)

 食べ物についてはドヤに頼む事もできれば、どこかで買ってくることもできます。自炊は設備がないので基本的に無理です。ドヤの食事メニューは「UDON」「SOBA」「TERIYAKI」みたいになっていて、やっぱり外国人バックパッカー御用達だなと思います。基本的に割高なので利用した事はありません。

 大阪には『スーパー玉出』というスーパーがあり、そこの惣菜が激安です。謎肉串が29円、揚げ物が49円など。消費期限ギリギリの生鮮食品を「加工品」扱いにすることで消費期限が延長されるマジッ(ry。菓子パンなどは普通に安くておなかいっぱいになりますし、電子レンジを貸してもらえるところも比較的多かったと思います。

 玉出とは別に謎の屋台が出ていることもあります。100円でキャベツ焼きというお好み焼きもどきが売っていたり、200円でたこ焼が売っていたりしますので、それで腹を満たすこともありました。因果関係は不明ですが、腹を壊して寝込んだこともあるので、俺の胃袋は宇宙ではありませんでした。

 難波の新世界が近いので、そこの串かつを食べる事もありました。総額で見ると安くはないですし、食べた後は顔がテカテカして胃もたれしてしまうのですが、ビールとの相性が最高です。「2泊分の宿泊費を使っちゃった」と思いながら新世界をふわふわ歩く頽廃さはなかなか乙です。

ドヤ暮らしの衣食住(住)

 クーラーがついている部屋とそうでない部屋では一泊200円ぐらい変わってきます。とはいえ汗をかくと洗濯や風呂の頻度に跳ねてきますし、作業効率も悪くなってしまいます。夏場はクーラー付きの部屋の方が良いでしょう。

 部屋ごとのシャワールームなどあるわけもありませんが、近くの銭湯……正確には系列ドヤの共同浴場が利用できるチケットがついてくるところが多かったので、風呂環境については、むしろ恵まれています。湯船には仏様を背中に描いてしまうぐらい熱心な仏教徒の方々や、筋骨隆々の異国の方々もいますが、あえてトラブルになるようなことをしなければ多分大丈夫です。ドヤでドヤ顔とかしないように。はい、いま死んだ!。

 チケットで行けるような銭湯の脱衣所には衣類用の籠しかありません。なので財布を含めた荷物は部屋に置いていくことになるのですが、この瞬間は結構ヒヤヒヤしていました。店主が信頼できそうなら預けておくのも手です。間違ってもiPodや腕時計を見せながら脱衣所に入らないように。その結果として何が起こっても意識低い系の自分を恨む事になります。

 共同の簡易シャワールームや小さな湯船がついている施設もありますが、使用時間帯で悶着があったり、あまり衛生的でない場合が多いのでほとんど利用しませんでした。

 トイレは階ごとに男女共同で2~3個室ある感じです。ドヤの朝は比較的遅いので、朝早く起きれば渋滞に巻き込まれることはありません。時間帯によっては悲惨なことになるのでコンビニや公園などを事前にチェックしておくのが重要です。休日はそのためだけにパチンコ屋を利用していました。パチンコ屋のトイレって綺麗だし、公共設備として一定数必要だと思う。感謝!

ノマドヤ・ワーキング編

「いつでも」「どこでも」働ける

 畳に布団と卓袱台と地デジアダプターがついている小さなアナログテレビぐらいしかない部屋なので集中して作業ができます。前述のとおり、Wi-Fi環境が整備されていますし、モバイルルーターの電波も普通に入りますし、電源も用意されています。インターネットVPNによる暗号化通信の環境を用意しておけばセキュリティもバッチリです。

 現代ではMacBook Air 11インチ、iPadiPhoneといったデバイスを苦労せずに持ち歩けるので、コンピューティング環境としては家にいる時との差がほとんどありません。ブログを更新することも、プログラミングをしてGithubにコミットすることも、デイトレードをすることも、その場で書いた設計書や原稿を送ることもできます。

「いつでも」「どこでも」暮らせる

 とはいえ、当時は現場で働きづめだったので、布団に寝転んでしまうことが多かった気がします。『ひぐらしのなく頃に』のスペースバーだけ押せばよい操作体系がフィットしていました。現代ならタブレットがあるので、より快適なノマドヤ生活が可能でしょう。まともに帰れないからドヤでもいいやみたいな共犯性も正直ありました。)

 一昨年に大阪旅行をしたときには電子書籍端末を持っていってドヤに泊まっていたのですが、伽藍堂な部屋が拡張現実的に漫画喫茶に様変わりしていく感覚に興奮しました。飲み物は有料ですが。現代ではノマドワーキングに限らず、「いつでも、どこでも」出来る事が増えているので、ドヤにいても同じように「暮らし」「働く」ことができるのです。

おわりに

 労働環境が今すぐに変わるなんて悲観的になる必要はありませんが、ずっと変わらないという楽観も危いです。心に余裕があるうちのレジャー感覚で体験しておくのも良いのではないでしょうか。バックパックひとつの海外旅行よりも濃厚な体験ができるかもしれませんよ。

 バックパッカーは資金が途切れると、そこで帰る必要がありますが、ノマドヤ暮らしではバックパッカーをしながらも収入を得ることができるので、永続的に旅を続けることができます。その一方でひとつのドヤに長期滞在も出来るので、「旅と定住のあいだ」まで軽やかに実現できます。ドヤの近くの案件であれば、現場作業を行えますし、身体が鈍ったら工事現場に行ってみるのも良いでしょう。

 僕自身も関西に旅行すれば、まずドヤ街に滞在する程度には好きですし、実際的なコストパフォーマンスもよいです。今後はフィリピンやベトナムインドネシアなどにも行く事になるのでしょうが、まずは物理的に近くにある異国で「暮らし」「働く」を体験してみるのも良いのではないでしょうか。